■周りの人々も「犠牲」

 ザックさんの友人たちもそれぞれ精神的に犠牲になったとヤングさんは指摘する。「パートナー、妻、息子、娘、友達、地域の住民まで、とても多くの人たちが影響を受けます」。一人で苦闘せざるを得ない人たちを支える会のために働く、それは名誉なことだとも語った。

 レイ・ショート(Ray Short)さんもそんな一人だ。1966年、13歳の時にオーストラリア南東部の港ウーロンゴン(Wollongong)の近くで遊泳中、サメに脚をかまれた。

「若い頃は、サメに襲われた他の被害者に1人か2人会ったり話を聞いたりできれば、すごいことでした」とショートさんは語る。「それが今では、じっくり話し合えるグループがあるのです」

 バイト・クラブの結束は強いが、サメの駆除を主張する人もいれば保護派もいて、会員の考えはさまざまだとピアソンさんは言う。

■「以前よりも特別」な存在になったサーフィン

 襲撃から回復する過程もさまざまだが、海を捨てることは多くの会員の選択肢にない。

「自分にとって、サーフィンは変わりました。実のところ、昔より特別かもしれません。その危険性を知っているからです」とピアソンさんは言う。

 ヤングさんの息子の友人のうち少なくとも1人は、悩んだ末に再び波乗りに戻った。「みんなサーファーですから。そこがみんなの居場所だし、みんなの瞑想(めいそう)の場所なのです」

 サメの襲撃は通常極めて珍しいが、豪政府の野生生物保護機関タロンガ・コンサベーション・ソサエティー・オーストラリア(Taronga Conservation Society Australia)によると、昨年は特別多く、オーストラリア全体で22件が発生、7人が死亡した。米フロリダ自然史博物館(Florida Museum of Natural History)の集計によると、国別で世界最悪の犠牲者数だ。

「去年は確か、犠牲者がいる4家族に会いましたが、これはつらいです」とピアソンさんは打ち明けた。「サメの襲撃が起きるたびに自分の体験がよみがえります」。そして何よりも、バイト・クラブの参加者がこれ以上増えないことを願うと語った。(c)AFP/Andrew LEESON