【3月7日 AFP】2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9の地震が発生した。

 約45分後、高さ14メートルの津波が六つの原子炉を持つ東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所がある東北地方の太平洋沿岸を襲った。

 M8の地震と最大5.7メートルの津波を想定して設計された福島第1原発は、壊滅的被害を受けた。

 地震発生直後、運転中だった1~3号機は想定通り自動停止。

 しかし津波到達後、福島第1原発は電源を喪失。非常用電源であるディーゼル発電機は水没し、冷却装置の水位は著しく低下した。

 1号機の核燃料が過熱し、メルトダウン(炉心溶融)が発生。それから数日の間に、2・3号機でもメルトダウンが起きた。

 メルトダウンが急速に進んだことにより、格納容器から放射性物質が漏れ出した。

 3月12日、1号機の原子炉建屋で水素爆発が発生。

 2日後、3号機でも水素爆発が発生した。

 これらの爆発により、大量の放射性物質が大気中に放出された。

 さらに3月15日、4号機の使用済み燃料プールで火災が起き、水素爆発が発生した。

 自衛隊の支援もあったが、危機的状況を脱するのに数週間かかった。

 その後数か月間、炉心冷却のために大量の放水・注水が行われた。

 大量の汚染水が発生し、低レベルの汚染水は一部太平洋に放出された。

 福島第1原発事故は、国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻な「レベル7」とされ、1986年のチェルノブイリ(Chernobyl)原発事故以降で最悪の原発事故となった。(c)AFP