【2月15日 AFP】1812年にロシアに侵攻したフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)がモスクワから退却する際に戦死した両軍兵士ら126人の遺骨が13日、フランス・ロシア政府による合同軍葬で、改めて埋葬された。

 ナポレオンのロシア遠征でも有数の激戦地として知られるロシア西部ヴャジマ(Vyazma)の墓地には、強風が吹き荒れ雪が舞う中、両国の政府関係者と当時の軍高官らの子孫が集まった。

 軍楽隊の演奏に合わせ、軍服を着用した担ぎ手が国旗に覆われたひつぎ8基を運んだ。ひつぎには兵士120人と女性3人、10代の少年3人の遺骨が納められており、雪の積もった地面に掘られた穴に下ろされると、礼砲が放たれた。

 氷点下15度の寒さで地面は凍っており、穴の底に置かれたひつぎにはひとまず白い布がかけられた。

 今回改葬された遺骨は、両国の考古学者らが2019年に発見・収容したもの。女性3人はフランス軍に従軍し、兵士の食事の世話や負傷者の応急手当てをしていたと考えられている。10代の少年3人は鼓手とみられる。

 ヴャジマはモスクワの西方200キロ余りに位置する。126人は、フランス軍が退却を始めて間もなく起きた1812年11月3日の「ヴャジマの戦い(Battle of Vyazma)」で死亡したとみられている。この戦闘の後、フランス軍はベレジナ(Berezina)川の渡河作戦でさらなる戦死者を出した。(c)AFP/Marina LAPENKOVA