【2月6日 CNS】中国人は昔から食べ物に特別な情熱と探究心を持っていた。四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)の四川博物院で開かれている展覧会「食味人間―飲食文化展」は、古代中国の食生活を今に伝えており人気を博している。

 会場には、胴に銘文がある銅器「南宮柳」や、後漢時代の厨房(ちゅうぼう)の様子が描かれたれんが、肉の調理に使ったかまどなど、特徴のある文化財が並ぶ。その中でも特に銅染器「清河食官(Qingheshiguan)」が注目を集めている。テーブルで大皿料理をつつき合う現在の「合食文化」が広まる以前、一人一人が自分の食器で食事をする「分食文化」を象徴しているためだ。

「清河食官」銅染器は、現在の山東省(Shandong)と河北省(Hebei)の地域にあった清河国(皇帝の一族の王国)で使用されたしゃぶしゃぶ用の食器。古代中国では、調味料は「染」と呼ばれ、肉はみそ、塩などで味付けされていた。

 発掘された漢朝の染器は非常に小さく、当時の人々は宴席で一人ずつ小型の鍋を持ち、それぞれ食事していたことが分かる。中国社会科学院考古学研究所の王仁湘(Wang Renxiang)研究員は「分食文化の歴史は先史時代にまでさかのぼる」と説明する。

 西周の貴族は床に座ってそれぞれお膳を置き、礼儀作法に基づいて食事をしていた。漢朝の墓の壁画などでも一人一人が床に座って食事をする様子が描かれている。

 食事のスタイルが変化したのは、高いテーブルと大きないすの普及が影響している。研究によると、少なくとも唐の中期から後期にかけて、いすに座ってリラックスし、複数の人がテーブルを囲みながら食事する「合食文化」が広がり始めた。

 14世紀以降の明や清の時代になると、家主が来客を招いてもてなし、大皿の食事をじか箸でつつき、酒を勧めるスタイルが定着した。食事文化は、それぞれの時代における人々の結びつきを表している。(c)CNS/JCM/AFPBB News