【2月2日 Xinhua News】中国湖北省(Hubei)文物考古研究所は、現在建設が進む荊荊高速鉄道(湖北省荊門市-荊州市)の工事に伴う発掘調査で重要な発見があったと明らかにした。同研究所によると、同省荊門市(Jingmen)沙洋県(Shayang)で考古スタッフが楚の貴族の家族墓を発見し、中から虎座鳥架鼓(こざちょうかこ)などの器物が出土した。中国でこれまでに見つかった春秋戦国時代の楚の貴族の家族墓の中で、最も保存状態が良いものだという。

 家族墓が見つかった新村墓地のある同県南部は、かつて楚の都が置かれた紀南城に隣接することから、楚の大・中型墓の集中する地域となっている。2020年9月から現在まで、考古スタッフが荊荊高速鉄道建設プロジェクトに合わせて、同地で緊急発掘調査を行ってきた。

 沙洋新村墓地発掘プロジェクトの責任者を務める周青(Zhou Qing)氏は、1200平方メートルに及ぶ発掘調査を経て、同墓地が異穴合葬墓2基や車馬坑、盛土(封土)、封壁、祭祀(さいし)坑を含む典型的な楚の貴族の家族墓であることが確認されたと説明している。

 M1、M2と命名された2基の墓は、いずれも傾斜した墓道を持つ「甲」字形墓で、このうちM1の開口部は東西20・5メートル、南北幅19メートル、深さ約9・5メートル。坑壁には7段の階段が設置されている。M1の現存する封土は平面が方形(四角形)に近く、封土の南・北・西の三方で土を強く突き固める工法の「版築(はんちく)」で造られた壁が見つかった。この版築壁はほぼ完全な形で残されており、これまでに見つかった中では最も保存状態が良いという。

 周氏によると、2基の墓の副葬品は比較的豊富で、M1から出土した器物は青銅礼器を模したものが多く、漆木器も大量に見つかった。M2からは礼器や楽器、日用陶器、車馬器、葬儀用の陶器などの副葬品計104点(組)のほか、玉器、めのう環などの装飾品や銅鏡が大量に出土したことから、M2はM1の被葬者の夫人の墓と推定されている。

 さらに、M1とM2の西側で車馬坑2カ所が発見された。同地の平面はいずれも「凸」字形をしており、M1の車馬坑には馬車5台と馬12頭が、M2の車馬坑には馬車3台と馬6頭が埋葬されていた。

 専門家は、今回発掘された新村墓地のうち、M1の墓主の身分を下大夫(かたいふ)と推定。M2から出土した銅鼎や銅壺の形状などから、この墓地の年代を紀元前300年以降、秦の将軍・白起(はく・き)が楚の首都郢(えい)を落とした時よりも前のものとみなしており、現段階では、同墓はかつて楚の都が置かれた紀南城の周辺で発掘された貴族の墓で最も古い年代に属するとしている。 (c)Xinhua News/AFPBB News