【1月19日 Xinhua News】中国河南省(Henan)の鄭州市(Zhengzhou)文物考古研究院は13日、同省鞏義市(Gongyi)にある新石器時代仰韶文化期の双槐樹遺跡で、中国最古の宮殿跡を発見したと明らかにした。

 同遺跡では2020年5月にも5300年前の大規模な都市遺構の発見が発表されている。専門家は「河洛古国」と命名し、黄河文明の起源ではないかとみている。今回発見された宮殿遺構は「版築(はんちく)」と呼ばれる土を突き固める工法で築かれた大型の高台の上に、二つの宮殿が並列して建てられており、公的エリアと皇帝・国王の生活エリアを前後に分ける「前朝後寝」、一つの門に三つの通路を設ける「一門三道」など後世の中国様式の宮殿の特徴を備えている。

 中国考古学会の王巍(Wang Wei)理事長は「中国の宮室制度は双槐樹遺跡でその輪郭が形成された。黄河文化が中華文化の主根、主脈であり、主魂であることを説明しており、中華5千年文明を裏付ける証拠でもある」と述べた。

 同研究院の顧万発(Gu Wanfa)院長によると、宮殿跡が見つかった4300平方メートルの版築高台には、建築遺構が密集しており、これらの建物の基礎土台もすべて版築工法で築かれていた。これまでの発掘で1号、2号院落(塀で囲まれた区画)の配置が判明している。

 高台の西半部を占める1号院落の平面は長方形で、面積は1300平方メートル余り。院落の南壁の外には880平方メートル近くの大型広場があり、「前朝後寝」の配置となっている。東半分を占める2号院落の面積は1500平方メートル余り。城門3カ所が見つかり、うち南壁東寄りの「1号門」は「一門三道」形式だった。

 中国社会科学院考古研究所の何努(He Nu)研究員は「このような大型院落の空間配置や『前朝後寝』様式の宮城配置は、中国の宮室制度の先駆けとなった」と指摘。これらの配置がその後の陶寺や二里頭、偃師商城などの夏王朝・商(殷)王朝時代の都城制度に直接影響を及ぼしたとの見方を示した。

 顧氏は、同遺跡の「一門三道」遺構が二里頭遺跡1号宮殿や偃師商城3号、5号宮殿の城門遺構、またそれよりも遅い時期の高等建築の城門と基本的に一致していると説明。双槐樹の大型建築基壇の高等性と起源性を顕著に示しており、夏・商・周三代の宮室制度の起源を模索するための重要材料になると述べた。

 中国ではこれまで、二里頭遺跡の宮室建築が最古の「宮殿」とされており、その後は山西省の陶寺遺跡でも宮殿に類似する建築が見つかっている。専門家は今回の発見が中国の宮室制度を1千年前後さかのぼらせたとしている。(c)Xinhua News/AFPBB News