【12月30日 AFP】エジプト首都カイロの結婚式場で、ロシア人ベリーダンサーのアナスタシア・ビセロバ(Anastasia Biserova)さんは、深いスリットの入ったきらびやかなスカートと精巧なスパンコールが施されたブラトップを身にまとい、体を揺らしながらダンスフロアに登場した。

 バンドの演奏に合わせ、ビセロバさんはうっすらと透けるピンク色のショールをクルクル振りながら、式場中を軽やかに踊り回ると、式の参列者たちはうっとりしながら拍手喝采を送った。このショーの様子は、オンラインで共有された。

 ビセロバさんはAFPに「エジプトほど、ベリーダンスを評価している国はどこにもない」と語った。エジプトでは、結婚式やナイトクラブ、イベントに外国人のダンサーを呼ぶことが増えていると言う。

 ビセロバさんは4年ほど前にカイロに来て、今ではベリーダンサーとして名が知られるようになった。

 エジプトは長らくベリーダンス発祥の地とされてきたが、近年は東欧やロシア、中南米など海外出身のダンサーが増えている。

 一方、地元出身のダンサーは減っている。過去50年でエジプト全体が保守的になりベリーダンサーという職業に対する偏見が強まったことや、自由への弾圧が広がっていることが理由だ。

 また、新型コロナウイルスの流行によって、動画配信することで変わらず観客を魅了し続けるダンサーも多いものの、大規模な結婚式の中止やナイトクラブの閉鎖によりダンサーたちは打撃を受けている。

 ブラジル人ダンサーのマリア・ルーディアナ・アウベス・テハス(Maria Lurdiana Alves Tejas)さんは、プロのベリーダンサーに対する、エジプト人の矛盾した考えを受け入れるのには時間がかかったと語る。

「私とプロとして見ない人や、まともな教育を受けておらず、体を見せてお金を得るためにベリーダンスをしていると思う人もいる」

 研究者によれば、エジプトではベリーダンスは主に娯楽であり、専門職として扱われることは決してない。

 ベリーダンスの歴史に関する著書があるシャザ・イェヒヤ(Shaza Yehia)氏は、「こうした認識は大衆文化や、ベリーダンサーをなまめかしい売春婦、家庭を壊す女性として描いた映画によって強められた」と語る。

 イェヒヤ氏ら研究者は、エジプトで特にベリーダンスが栄えたのは19世紀だったと考えている。イェヒヤ氏によると、当時のダンサーは、歌と踊りの芸術分野における豊富な知識があることから「アワレム(知識人)」と呼ばれていた。

 ベリーダンスに対する近代のイメージの一部は、植民地時代に欧米人により形作られたとイェヒヤ氏は指摘する。

「外国の作家や画家が、東洋のベリーダンサーに対する自らの空想を表現した」 (c)AFP/Menna Zaki