【12月26日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)西安市(Xi’an)閻良区にある秦漢櫟陽(れきよう)城遺跡でこのほど、新たな発見があった。3号古城と呼ばれる地域から、浴室や壁炉(暖炉)、かまどなどの遺構が多数見つかった。2千年以上前の秦漢時代の都城にあった後宮の跡ではないかと推測される。

 櫟陽城は秦の献公2(紀元前383)年に築城され、続く孝公時代、さらには秦末の楚漢戦争時の塞王司馬欣(Sima Xin)の時代、そして漢王朝初期の都城となった。西安近郊では、秦の咸陽城、漢の長安城と並ぶ秦漢時代の第3の都とされる。

 同遺跡の考古学調査と発掘は1980年に始まり、これまでに1号古城、2号古城、3号古城の三つの古城が確認されている。うち3号古城では多くの大型宮殿建築の遺構を発見。年代的には戦国時代中期から前漢前期、すなわち文献に記載される秦から漢初の櫟陽城に該当することが分かっている。

 中国社会科学院考古研究所の劉瑞(Liu Rui)研究員によると、3号古城では2018年以降、北側区域の広い範囲で調査を実施。多くの大型建築遺構を発見した。大量の筒瓦、平瓦、動物文や雲文の施された瓦当(がとう、筒瓦の先端部分)が出土したほか、浴室や壁炉、かまど、便槽らしき設備の遺構も見つかった。

 3号古城の6号建築の西側では、2基ずつ対になった4基のかまど跡が出土。うち1基は東西の長さが3・86メートルで、斜面状の作業坑には火塘や煙道などの設備があった。宮廷の飲食をつかさどる御膳房の付属施設と考えられる。劉氏は、同エリアが戦国~秦漢時代の宮城の後宮区域だと説明。同時代の後宮区域の全貌を解き明かすことで、戦国~秦漢時代の建築の特徴や形状を一層明らかにすることができると語った。(c)Xinhua News/AFPBB News