イラク難民一家、オランダ定住までの苦難とこれから
このニュースをシェア
■「死を目の当たりにした」
アフマドさんはイラクで高級服飾店を経営していた。イラクから逃げようと決めたのは、大学教授の娘のアリアさんをバグダッドのレストラン「ミスター・チキン」に連れて行った後だった。
その日は2014年2月に婚約してから最初の二人のデートだった。
レストランで食事を取っていると、爆発が起き、店は砕け散った。アリアさんの顔には、他の客を死に至らしめたガラスの破片による傷が今も残っている。
アフマドさんは「その日、私は死を目の当たりにしました。他のテーブルに座っていたら、私たちは生きていなかったかもしれません」と語った。
二人は中流の暮らしを送り、家族も近くにいた。写真・動画共有アプリ「スナップチャット(Snapchat)」で日差しの強いバグダッドの様子を見ながら、アフマドさんは「私は自分の国が大好きです」と言う。でも「イラクでは朝出勤するとき、生きて戻れるかどうか分かりません」。
2015年にアダム君が誕生し、夫婦は他のすべてを投げ打つ覚悟ができた。息子はもっと良い場所で生きる権利がある。
アフマドさんは避難資金をつくるため、店舗と相続した資産を売り払った。
アフマドさんは以前も難民だった。宗派間抗争が最も激しかった2006年に家族でシリアに逃げ、その6年後に今度はシリア内戦でイラクに戻ってきた。「しかし年々、イラクの状況は悪化し続けました。汚職と武装勢力がはびこっていました」
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2014年のイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の台頭と無数の武装勢力が、新たな避難の波を引き起こした。
UNHCRのデータでは2015年、8万8757人がイラクから地中海を越え、ギリシャとイタリアに避難した。
2019年の時点で、欧州連合(EU)域内のイラク難民は約21万4000人となっている。アフマドさんは「私たちは移住するしかありませんでした。選択の余地はなかったのです」と語る。