【12月21日 AFP】エチオピア北部ティグレ(Tigray)州南部の農村、ビソバー(Bisober)に最初の砲弾が飛んできたのは、夜明け前だった。泥壁とブリキ屋根の家が次々と破壊される中、住民らはサボテンが所々に生えた村近くの丘を目指して逃げ出した。

 60代のジャノ・アドマシ(Jano Admasi)さんも、長男ミスカナ(Miskana)さん(46)と一緒に村の外へ続く土の道を急いだ。だが、その途中でエチオピア政府軍の兵士らと鉢合わせた。

 穏やかな口調で話すジャノさんによると、2人は兵士らによって来たばかりの道を連れ戻され、近くの民家に押し込められた。そこには他に、おびえた様子の2組の家族がいたという。

 その後に何が起きたのか。3人の目撃者が証言した出来事を、エチオピア政府は否定している。その内容は、ティグレ州での軍事作戦は民間人の命を守る細心の注意の下に行われたとするアビー・アハメド(Abiy Ahmed)首相の主張に疑念を抱かせるものだ。

 兵士らは激高した様子で、ミスカナさんと他2人の男性がティグレ州政府与党「ティグレ人民解放戦線(TPLF)」を支援していると非難した。「身元を問いただされたので、ただの農夫と年寄りだと答えました」とジャノさんはAFPに語った。「彼らは『外に出ろ』と言って、男女を分けました」

 兵士らはミスカナさんら男性陣を地面に座らせるや、カラシニコフ自動小銃で射殺した。ジャノさんには、何が起きているのかを理解する間もなかった。15歳の少年が父親をかばおうと飛び出したが、一緒に殺された。11月14日のことだった。

 エチオピア政府はティグレ州への立ち入りを厳しく制限しており、国連(UN)が「歯止めが利かなくなっている」と警鐘を鳴らす今回の紛争による犠牲者数は、実態の把握が難しい状況だ。

 だが、AFPは先ごろ特別にティグレ州南部への立ち入りを許可された。そこでは、複数の町や村で、政府軍とTPLF支持勢力の双方を非難する住民の声を聞いた。いずれも民間人を危険にさらしたというのはまだましなほうで、積極的に民間人が標的とされたこともあったという。

 生き残った人々はAFPに、ティグレ州全体で何人の民間人が犠牲になったかを考えると恐ろしいと訴えた。

 政府軍は、AFPの取材に応じなかった。エチオピア政府のザディグ・アブラハ(Zadig Abraha)民主化担当相は、政府軍兵士が民間人を殺害したという主張は全て「虚偽」だとAFPに語った。

■村が戦場に

 ビソバー村の住民たちは、思い返せば7か月前、新型コロナウイルス流行を受けて休校中だった村の小学校をTPLFの戦闘部隊が接収したときに、紛争の兆候はあったと話した。

 11月初頭には、約250人の戦闘員がこの小学校に宿営し、教室の裏手に塹壕(ざんごう)を掘ったり校長室を武器庫として利用したりしていた。そして戦闘が始まると、住民たちが逃げ出した民家に立てこもって政府軍に反撃したため、村には甚大な被害が出たと目撃者は語る。

「紛争の発生は突然のことだった」と、現地の秩序回復のため新設された対策本部のサイード・イドリス(Said Idriss)氏は指摘。どちらの勢力も「もっと早く、住民に退去を勧告できたはずだ」と述べた。

 エチオピア政府軍がティグレ州で行った軍事作戦をめぐっては、民間人への攻撃について徹底的な独立調査を行うよう複数の人権団体が求めているが、アビー首相は反対している。

 レドワン・フセイン(Redwan Hussein)政府報道官は記者会見で、外部の調査団の受け入れは「エチオピア政府が(独自の)調査に失敗したと思った時」に初めて認められると言明。「(エチオピアに)ベビーシッターは必要ない」と付け加えた。(c)AFP/Robbie COREY-BOULET