■「避けられない変化」

 それでもチュニジアにはアラブの春で勝ち取った新憲法、欠点はあるものの機能している議会制度、そして自由選挙がある。一方、エジプトはアラブの春で民主主義を垣間見ながらも、国家による抑圧が再び受け継がれている。

 同国の人権団体「権利と自由のためのエジプト委員会(ECRF)」で事務局長を務めるムハンマド・ロトフィ(Mohamed Lotfy)氏(39)は「10年が経過したが、蜂起当時は幼い子どもだった若い世代の中に希望はまだある」と述べた。

 首都カイロをはじめとするエジプトの都市では、当時のホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)大統領の退陣と「パン、自由、人間の尊厳」を求め、数千人が行進した。しかし、2011年1月25日の夢を壊すためなら「政府は何でもする」とロトフィ氏は言う。

 リビア、イエメン、シリアの状況はさらに悪い。当初は平和的だった抗議デモから内戦に発展し、都市は荒廃し、数十万人の死者を出した。

 最初は違ったというのは、10年前、リビアの独裁者ムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)大佐に対する抗議デモに参加していた同国出身のマジディさん(36)だ。

「私たちはチュニジアとエジプトで起きたことを見ていた」と彼は語った。「私たちの番が来た、変化は避けられなかった」

 マジディさんによると、デモの参加者の要求は「もう少しばかりの自由と正義、そして希望を、それらを全く持たない若者たちに」与えよというもので、最初は「政権転覆の話など全くなかった」という。

 しかし、カダフィ政権の残忍な対応が、武装への呼び掛けにつながった。2011年10月にカダフィ氏が殺害されると、リビアは10年に及ぶ暴力的混乱に陥った。

「今になって考えてみると、リビアという国家の基礎にカダフィがどれほど打撃を与えてしまっていたのか、私たちは分かっていなかった」。しかし、後悔はないとマジディさんはいう。革命は「必要だったし、私は今もそう信じている」。