【12月13日 AFP】1982年サッカーW杯スペイン大会(1982 World Cup)でイタリア代表を優勝に導き、長い闘病の末に先日64歳で亡くなったパオロ・ロッシ(Paolo Rossi)氏の葬儀が12日、同国ビチェンツァ(Vicenza)で営まれ、数百人が参列した。

 市内のドゥオーモ(大聖堂)で行われた葬儀では、「パブリート(Pablito)」の愛称で知られたロッシ氏と共にW杯制覇を果たした元チームメートらが簡素な木製のひつぎを運んだ。

 元同国代表DFのフルヴィオ・コロバティ(Fulvio Collovati)氏は、「私が世界王者であるのなら、それは彼のおかげ」とコメントした。

 1982年のW杯で6ゴールを挙げてチームを優勝に導いたロッシ氏は、その年のバロンドール(Ballon d'Or)にも選出された。

 ロッシ氏の死を受け、国中、とりわけ同氏がセリエAに昇格させたヴィチェンツァ(Vicenza Virtus)が拠点を置く同都市では、悲しみと追悼の声が広がっている。

 現在セリエB(2部)に所属するヴィチェンツァのホームスタジアムで、11日にロッシ氏のひつぎが公開された一般弔問には数千人が追悼に訪れた。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による制限で、この日は250人の参列しか認められていなかったが、ドゥオーモの外には数百人が集まり、葬儀の様子は全国に生中継された。

 元同国代表DFのアントニオ・カブリーニ(Antonio Cabrini)氏は葬儀中、「ただのチームメートでなく、兄弟、友人をも失った」と述べた。「君がこんなにも早くわれわれの輪からいなくなってしまうなんて思わなかった。チャオ、パオロ!」

 息子のアレッサンドロ(Alessandro)さんもロッシ氏の元チームメートと共にひつぎを担ぎ、妻のフェデリカ・カッペッレッティ(Federica Cappelletti)さんや娘のソフィア・エレナ(Sofia Elena)さん、マリア・ヴィットリア(Maria Vittoria)さんがそれに続いた。

 ドゥオーモの入り口には、ロッシ氏が先制点を挙げてイタリアがドイツを3-1で下した1982年のW杯決勝翌日の伊スポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト(Gazzetta dello Sport)の一面を拡大したものが設置されていた。

 また、ひつぎの上にはヴィチェンツァのマフラーと並ぶ形で、イタリア代表の20番のユニホームが置かれた。(c)AFP