日本のビジネスマンを引き付ける、蘇州の「暮らしやすさ」
このニュースをシェア
【12月10日 Xinhua News】日本人ビジネスマンの藤原信光さんが初めて江蘇省(Jiangsu)蘇州市(Suzhou)を訪れたのは1993年の晩秋だった。市街を縦横に走る水路とそこに架かる数々の小さな橋、古典園林、シルク工芸などに魅了され、この地に住むと決め、暮らし続けて30年近くが過ぎた。
1994年、蘇州ハイテク産業開発区(高新区)は初となる外資の独資企業を迎えた。現在、藤原さんが董事長を務める蘇州日本電波工業だ。藤原さんは「当時の政府や関係者は熱意にあふれ、会社設立や工場建設を積極的にサポートしてくれた。それが蘇州を選ぶ理由になった」と振り返る。
当初は労働力が魅力だったが、照準は購買力へと変わった。蘇州日本電波工業は、中国の日進月歩の発展に徐々に適応していった。同社の主要製品は移動通信や車載用の水晶振動子などだが、将来は中国で第5世代移動通信システム(5G)などの新技術がさらに拡大し、同社にとっても新たなチャンスが訪れるだろうと藤原さんは見ている。
蘇州高新区には現在、日系企業約600社が拠点を構え、総投資額は200億ドル(1ドル=約104円)、日本人居住者は約4千人を数え、一大「日系企業集積地」となっている。蘇州が日系企業を引き付けるのは単に「チャンスが多いから」だけではなく、「生活しやすい」ことも大きいと藤原さんは分析する。
藤原さんが着任した当初は日本食レストランもほとんどなかったが、「ここ数年で店舗数が増え、ジャンルも充実した」といい、同地の淮海街には本格的な日本食レストランが軒を連ねる。
同社設立と同じ年、日本人の「ホームシック」を解消し、継続的に日系企業投資の誘致を促進するための「ソフト環境」として、高新区政府は「日本食街」とも呼ばれる淮海街の整備を始めた。
淮海街不動産管理処の担当者によると、「日本食街」を日本らしさで満たすために、設計チームは何度も日本を訪問し研究したという。
蘇州にはまた同省で唯一、日本語で授業を行う日本人学校があり、日本人家庭の子どもたちが日本国内と同等レベルの教育を受けられるようになっている。他にも日本語対応の診療所や日系デパートなどの開設など、この地で成功を目指す日本人が安心して生活できる環境づくりを進めている。(c)Xinhua News/AFPBB News