【12月12日 AFP】20世紀半ば、イラク北部のモスル(Mosul)の駅は、ドイツのベルリンやトルコのイスタンブール、イタリアのベネチア(Venice)行きの切符を手にした人でにぎわっていた。イラク人はもちろん、欧州人もいた。

 しかし今日、ここに残っているのは、都市の孤立を如実に伝えるさびた線路や横倒しになった車両ばかりだ。サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権(当時)に対する制裁、立て続けに起きた紛争、資金不足によって打撃を受け、かつて栄えていたモスル西側の壮大な鉄道駅も、今は見る影もない。

 首都バグダッドからモスル駅に初めて列車が到着したのは1940年。鉄道はイスタンブールへと延び、名高いオリエント急行(Orient Express)に接続。フランス・パリまで4400キロの移動を可能にした。

 1950年代には、英国のミステリー作家アガサ・クリスティ(Agatha Christie)がモスル駅を訪れ、後の推理小説に駅を登場させた。

 イラク公共鉄道(IRR)は、数十年にわたって首都バグダッドと72の都市を結んできた。全長2000キロの鉄道網にとってモスル駅は要衝だった。駅で働いていた男性によると、10年ほど前に最後の列車が出発するまで、日々、客車か貨物列車が運行されていたという。

 しかし、1990年代の国連制裁の影響により、列車の整備に必要な部品調達が困難になった。また、2003年に米国主導でイラク戦争が始まると、爆弾攻撃が相次ぎ、その後は派閥間での武力衝突が各地で起きた。

 2009年5月31日、爆弾を積んだトラックによる攻撃でモスル駅は大きく損傷。2010年7月に最後の列車がトルコのガジアンテプ(Gaziantep)に向けて出発した。片道の運行だった。

 さらに2014年6月、今度はイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」がモスルを制圧し、いわゆるカリフ国家のイラクにおける首都と宣言した。モスル駅は戦闘の場となった。IRR北部地域の副代表は、駅の「80%が破壊された」とAFPに話した。

■「美しい日々」

 駅舎内のガレリアを飾る花柄のモザイクは粉々になってしまったが、一部残されたピンクがかった石造りのエントランスはかつての栄華をわずかに残している。

 主婦のヌールさん(37)は、子どもの頃に駅の扉をくぐって祖母と歩いたことを覚えていると話す。

「10歳の時でした。家族や友人、近所の人たちと一緒に出かけて、車窓を流れる田園風景を楽しみました」

 そのような日々が戻ることを望んでいるとヌールさんは話し、「美しい日々でした」と振り返った。(c)AFP/Raad al-Jammas