【12月5日 Xinhua News】中国河南省(Henan)洛陽市(Luoyang)伊川県(Yichuan)の徐陽墓地でこのほど、春秋時代(紀元前770年~同476年)後期の墓が新たに見つかった。同墓地は北西部から中原(黄河中・下流域)に移住した戎(じゅう)族の一部族「陸渾(りくこん)の戎」の墓群として知られている。今回見つかったのは王級の墓とみられ、2600年前の彼らの移住と民族融合の歴史をさらに裏付けることとなった。

 発掘現場の責任者、呉業恒(Wu YeHeng)氏によると、墓の保存状態は良く、青銅の編鐘(へんしょう)や編磬(へんけい)、玉璜(ぎょくこう)、玉扳指(ぎょくはんし、扳指は弓を引く指を保護する指輪状の装具)などの副葬品が出土した。墓の周囲からは車と馬を副葬した竪坑「車馬坑」も見つかった。呉氏は「車馬坑があるのは高級貴族の墓であり、編鐘や編磬などの礼器が出土したことを考えれば王級の墓と思われる」との見方を示した。同墓地で王級の墓が出土したのは2度目だという。

 洛陽市文物考古研究院の史家珍(Shi Jiazhen)院長は「墓から出土した副葬品や車馬坑に馬や羊、牛の頭部とひづめを埋める習慣は春秋時代の戎族の文化や埋葬習慣に似ている。一方で銅製の礼器や馬車の規格を見ると中原の影響を強く受けていたことも伺える」と説明した。

 歴史書の記載によると、陸渾の戎は紀元前638年、北西部から現在の洛陽市伊川県に移住。同525年に晋国により滅ぼされた。(c)Xinhua News/AFPBB News