【11月27日 AFP】サッカー元アルゼンチン代表のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏は、ピッチ外でよく騒動を起こしていたときでさえも「まぶしく光り輝いていた」と、英国出身の元代理人がAFPの取材で語った。

 サッカー界における「敏腕エージェント」のパイオニアとして知られるジョン・スミス(Jon Smith)氏は、ほとんど一人でアルゼンチンを1986年W杯メキシコ大会(1986 World Cup)制覇に導いたマラドーナ氏が「ジキル博士とハイド氏(Dr. Jekyll and Mr. Hyde)」のような二面性を持っていて、ブエノスアイレス出身の「愛らしい少年」だったかと思えば、パーティー好きで私生活がまるで手に負えない人間だったと振り返った。

 スミス氏はある程度の影響力でマラドーナ氏の手綱を締めることができていたものの、自分は英ロンドンにいて当時イタリア・セリエAのナポリ(SSC Napoli)でプレーしていた同氏とは離れた場所にいたことから、それには限界があったと明かした。

 ナポリで披露した魔術師のようなパフォーマンスと同じく、深夜のパーティーやコカイン、そして女性を好んだことでも知られたマラドーナ氏について、スミス氏は「彼は周囲の人を楽しませていたと言っておこう」「彼にはコカ・コーラ(Coca-Cola)とのような多額の契約を与えた一方で、ほかにもさまざまな影響があった」と語った。

 また、25日に60歳で死去したマラドーナ氏が「欠点を持つ天才」の典型であると話し、「人々は彼のことを欠点を持つ天才だと話している。そう、私はこれまで何人か天才に遭遇してきたが、その誰もが欠点を持っている」「あまりにも誘惑が多すぎたが、そうした暗い側面の全てにおいても彼はまぶしく光り輝いていた」と語った。

■キャラクターがまじり合った人物

 スミス氏はまた、マラドーナ氏はさまざまなキャラクターがまじり合った興味深い人物であり、「彼にはまさに二つの人格があった」と語っている。

「ブエノスアイレスのスラム街から来た愛らしい少年で、その面が失われることはなかった」「愛らしい少年で、ある意味で優しすぎて、絶対に『ノー』とは言えなかった」

「そうかと思えば、真逆の面もあった。パフォーマーであり、ショーマンであり、パーティー好きだった」「複雑なキャラクターの持ち主だった」 (c)AFP/Pirate IRWIN