【12月4日 AFP】シリア北西部の戦火を逃れたアブデルアジズ・ハッサン(Abdelaziz al-Hassan)さんは、過密状態の避難民キャンプでの暮らしを望まなかった。そこでハッサン一家は、ローマ帝国時代の神殿の廃虚にテントを張ることにした。

 昨年の冬、シリア反体制派の最後の拠点であるイドリブ(Idlib)では、ロシアの支援を受けるシリア政府軍の攻撃によって約100万人が家を追われた。ハッサンさんと妻、そして3人の子どもらも自宅から避難した。

 一家は今、他の避難民数十人と共に、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産で暮らしている。トルコ国境に近いバキルハ(Baqirha)にある古代ローマ時代の神殿の遺跡だ。ギリシャの神ゼウス(Zeus)を祭る2世紀の神殿には、壊れた支柱や礎石が散らばる。

 ハッサン一家は、3面が残った壁の合間にトンネル型のテントを設営した。テントの裏では、壁の間に張ったロープに洗濯物が干してある。古代の巨石に立て掛けたソーラーパネルは日光を十分に浴び、その横の小さなまきストーブの上には黒ずんだ鍋が置かれている。

 ここでの暮らしは、とりわけ新型コロナウイルスの流行下において、国境沿いに無数に出現した避難民キャンプでの生活よりもずっと良い選択だったと、白い毛がまじったひげを生やしたハッサンさんはいう。「この場所を選んだのは、混み合った場所や病気だらけの場所から遠く離れて、心の平穏を保てるからだ」

 壮大な歴史的建造物での暮らしには、若干の不便があることもハッサンさんは認めている。子どもは長い道のりを歩いて村の学校まで通わなければならない。それから辺りには、毒ヘビや昆虫がはいずり回っている。

「2日前、テントの入り口の近くでマムシを殺した」とハッサンさんはAFPに語った。「1日置きにサソリを殺している」。それでも「ここより良い場所はまだ見つからない」という。

■「他のどこに行けばいいのか」

 ハッサンさんの義兄のサレー・ジャオール(Saleh Jaour)さん(64)も昨年冬、妻と息子1人を爆撃で失った後、約10人の子どもと共にバキルハの遺跡に移り住んだ。

「この地域を選んだのはトルコ国境に近いからだ。何か起きたら、トルコに歩いて逃げていける」。ジャオールさんはそう説明した。トルコ国境までは、わずか4キロだ。

 昨年12月から今年3月にかけて行われた政府軍主導のイドリブ攻撃以降、シリア政府の同盟国ロシアと、シリア反体制派を支援するトルコとの間で停戦合意が結ばれ、戦闘はおおむね収束した。だが、避難先から戻って来た住民は4分の1足らずだ。

 地元当局はバキルハの遺跡に住み着いている各世帯に退去を求めている。だが住人らは、代わりの避難所が提供されるまでは動かないとして、その要請を拒否している。

「やっとここに慣れてきた」というジャオールさんは、雨期の初めに再び家族で移動することに消極的だ。「他にどこに行けばいいというのか?」 (c)AFP/Abdelaziz Ketaz