■「最初の証拠」 

 ブリックスさんはアインザッツグルッペC隊のジェノサイド(大量虐殺)について、そして父親が残虐行為に加担していたのかどうかについて調べ始めた。

「父は(ユダヤ人の)迫害を間違いなく知っていたはず。ただ、医師である父が大量虐殺に立ち会ったとは、私には想像できなかった」

 その後、ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の立案に携わったナチス・ドイツ高官、ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)について調べていたオランダ人記者から有意な情報を得ることができた。

「記者はブリーフケースから英語で書かれた書類を取り出し、そこに父のフルネームが載っていた」とブリックスさんは語った。

「それは、アインザッツグルッペC隊第5部隊司令官の証言で、ウクライナの首都キエフで行われた最初の大量虐殺に関するものだった」

「司令官は、(計画への)参加を拒否しようとしたが不可能だったと証言していた。そして、医師──つまり私の父──を呼び、全ては『衛生的』で粛々と行われるように取り計らった、とあった」とブリックスさんは付け加えた。

 こうして、父親が大量虐殺に少なくとも1回は加担していたことを示す「最初の証拠」が得られた。

 ブリックスさんが何年もかけて集めた父親に関する資料の中には、ワシとかぎ十字の印のあるナチス親衛隊の所属証がある。一枚の写真には、親衛隊の特徴的な黒服を着て納まっている。

 ナチス・ドイツの高官の戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判は、今から75年前の11月20日に開廷した。

 ブリックスさんは今、第2次世界大戦(World War II)についての調査をさらに進めている。

  また、過去を検証して当時の犯罪行為を償い、若い世代に歴史の暗部を伝える、ドイツの「記憶の文化」の活動にも精力的に取り組んでいる。(c)AFP/Mathieu FOULKES