【11月20日 AFP】ドイツ人のバーバラ・ブリックス(Barbara Brix)さん(79)は、医師で歴史と文学を愛する父親を尊敬していた──生前、ナチス・ドイツ(Nazi)の「虐殺部隊」の一員だったと知るまでは。その事実を知ったのは、父親が死去してからだいぶたった後だった。

「6歳になるまで父に会ったことがなかった。戦地から戻ったときには両脚を失っていた」と年金暮らしのブリックスさんはAFPに語った。

 歴史の教師として働いていたブリックスさんは、ドイツ北部ハンブルク(Hamburg)の小さなアパートで「父はトルストイやディケンズの作品を私に読んでくれた…父は、私の精神的指導者のような人だった」と話した。

「父はそのことについて話さなかったし、私も何も聞かなかった。『お父さんどうして脚がなくなっちゃったの』とさえも聞かなかった」

 1950年代、旧西ドイツでは、過去を不問にしようという機運があった。しかし1960年代に入ると、子どもたちが親からの説明を求め、多くの家庭で対話が始まった。

 ブリックスさんも勇気を振り絞って父親に質問した。しかし、まともな答えは返ってこなかった。

 その後も、父親が医師として国防軍(Wehrmacht、当時のドイツ軍)で働いていたと信じていたブリックスさんだったが、1980年の死去から約四半世紀、隠されていた過去の一部が明るみに出ることとなった。

「あれは、2006年の定年退職の直前だった」

「バルト諸国におけるナチス・ドイツについて調べていた歴史家の友人から、『バーバラ、あなたのお父さんがアインザッツグルッペン(Einsatzgruppen、ナチス・ドイツの虐殺部隊)の一員だったことは知ってる?』と質問された。当然、ショックだった」とブリックスさんは述べた。

 ブリックスさんが父親について知っていたことは限られていた。ペーター・クルーガー(Peter Kroeger)という名前で、ラトビア生まれのドイツ系少数民。1933年、21歳でアドルフ・ヒトラー(Adolf Hilter)が党首を務めるナチ党に入党した。

 医師となった父親は、党の軍事部門であるナチス武装親衛隊(Waffen SS)に加わった。ヒトラーが旧ソ連に侵攻を始めた1941年6月、妊娠中の妻を残し、東部戦線(Eastern Front)へと向かった。