■転載したシャルリー・エブドで襲撃事件

 その怒りは2006年2月、イスラム世界各地で反デンマークを唱える暴力行為に発展した。そして、2015年、ムハンマドの風刺画を転載していたフランス・パリの風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の本社が襲撃され、12人が殺害された事件に至る(同事件の共犯とされる被告らの公判開始に合わせ、同紙は今年9月にこの風刺画を再掲載した)。

 パリで今年9月下旬に2人が刺傷された事件の容疑者もまた、ムハンマドの風刺画を再掲載する方針を決定したシャルリー・エブドに報復するつもりだったと供述した。

 ユランズ・ポステンは最終的に、イスラム教徒に不快感を与えたとして謝罪したが、同紙に対する襲撃計画を警察はこれまで何度か阻止している。

 デンマークでこの風刺画に関わった何人かは、今もなお警察の保護下で生活している。その一人、ローズ氏は警護を必要としていることについて、「自分らしい生活を送るため」だとしている。

 同氏にとっては、あの風刺画を掲載する判断はジャーナリストとしての仕事の一環で、ムハンマドを絵にすることにどれほどひるんできたかを示すためのものだった。

「今振り返っても、あれは当然の決断だった…後悔はない」とローズ氏はAFPに語った。

 1770年に世界で最初に検閲制度を廃止したデンマークは今日、表現の自由に関するさまざまな世界ランキングでトップに立っている。

 風刺画が掲載された当時、首相だったアナス・フォー・ラスムセン(Anders Fogh Rasmussen)氏は、前例のない規模に広がったデンマーク製品の不買運動に直面しながらも、風刺画の件で謝罪はしなかった。

 風刺画家12人のほとんどが今では公の場でコメントすることはないが、一部の人々は態度を改めたことを認めている。

 現在も取材に応じる数少ない一人、ボブ・カツェネルソン(Bob Katzenelson)氏は、「自分の作品については必ず慎重に見直すようにしている。刺激が強過ぎないか、自分の考えが少しソフトに表現できているか」と説明した。

 ブリュイジェン氏は、風刺画が掲載されてから15年になる記念として、コーラン(イスラム教の聖典)に関する新たな挿絵入りの本の刊行を進めていた(9月30日に出版)。

「欧州の伝統では、内容が難しい大型の児童書には挿絵を使う。その点は譲れない」と語った。(c)AFP/Camille BAS-WOHLERT