【1月14日 AFP】パラリンピックは、苦難を乗り越えて偉業を達成した選手のストーリーの宝庫だが、ジャン・バティスト・アレーズ(Jean-Baptiste Alaize、フランス)ほどのトラウマを抱えた選手はそう多くない。

 陸上短距離と幅跳びを専門とするアレーズは、ネットフリックス(Netflix)のドキュメンタリー「ライジング・フェニックス(Rising Phoenix)」でも取りあげられた29歳だ。アレーズがわずか3歳で右脚を失った原因は、事故でも、病気でもなく、マチェーテ(なた)で切りつけられたことだった。

 ブルンジで内戦が発生していた1994年10月、ツチ人の少年だったアレーズは、母親と共に近隣のフツ人に捕まり、母親は息子が見ている前で首を切られて殺された。アレーズ自身も背中を切り裂かれ、他にも首や右腕、右脚を切られた末に放置された。何とか一命を取りとめたが、数日後に病院のベッドで目を覚ますと、右脚の膝から下がなくなっていた。

 アンティーブ(Antibes)での練習後、AFPのインタビューに応じたアレーズは、喉を指でかき切るしぐさをしながら、「何年もの間、目を閉じるたびにその場面がフラッシュバックした。母が目の前で殺されるところを見たんだ」と話した。

「母と一緒に走って、走ったが、遠くまでは走れなかった」

「僕らは家から40メートルの場所で殺された」

 それから、走ることがアレーズの人生のストーリーになった。