【10月12日 Xinhua News】中国山西省(Shanxi)考古研究院によると、考古学者らが今年3~8月、同省呂梁市(Lvliang)の信義遺跡で廟底溝第2期文化(4800~4300年前)に属する住居跡12カ所などの存在を発見した。これらははっきりした地域的特徴があり、先史時代の中原と北方地域の間の文化交流や建築様式別の空間分布を探る新たな資料となる。

 信義遺跡は同市離石区信義鎮信義村の北にあり、面積は約40万平方メートル。仰韶(ぎょうしょう)文化の後期から竜山文化の時期に属する。今年3~8月、国道209号線呂梁新城区間のルート変更工事に合わせ、同研究院と呂梁市文化財考古学調査発掘チームが共同で、遺跡内の敷地1600平方メートル以上の発掘調査を実施した。

 プロジェクト責任者で同研究院民族融合研究所の趙輝(Zhao Hui)副所長によると、今回の発掘調査では住居跡13カ所、灰坑5カ所、陶窯1基が出土した。出土した陶器と年代測定データから、住居跡12カ所と灰坑5カ所、陶窯1基が廟底溝第2期の遺構であることが確認され、残る1カ所の住居跡は竜山時代の遺構と判明した。

 今回発見された廟底溝第2期の住居跡と灰坑から出土した陶器は主に、夾砂陶深腹罐や小口長頸罐、広口浅腹皿、円腹罐、折沿盆、陶豆、陶杯などで、陝西省(Shaanxi)と山西省、河南省(Henan)の境界地域を中心とした典型的な廟底溝第2期文化とは明らかな違いが見られ、非常にはっきりした地域的特徴がある。

 趙氏は、信義遺跡で見つかった住居跡が全て土を掘って造られており、先史時代の人々が山の尾根や断崖を利用して、角が丸い四角の床面とドーム式の天井を持つ洞穴式住居「窰洞(ヤオトン)」を掘り、自然の地形に合わせて列のように配置したと説明。各住居の前には活動空間とそれらをつなぐ通路があり、完全な小規模集落を形成していたとの見方を示した。このタイプの住居は、河套地域(中国北西部で黄河上・中流が湾曲して流れる地域)で広まった石造りの建物とは全く異なっており、両者が新石器時代末期の黄河中流域における特徴的な二大建築様式を形成しているという。(c)Xinhua News/AFPBB News