【9月24日 Xinhua News】中国河南省(Henan)の三門峡市(Sanmenxia)文物考古研究所はこのほど、同市で今年5月に出土した「鵝首曲頚青銅壺(がしゅけいじんせいどうこ)」と呼ばれるハクチョウの頭部をかたどった青銅製の壺に残っていた3リットル余りの謎の液体の解析結果を発表した。液体は中国科学院大学の研究スタッフの解析で、前漢初期の古酒であることが分かった。湖南省(Hunan)長沙市(Changsha)の馬王堆漢墓から出土した医学書「五十二病方」の記述と一致しており、止血と消炎効果のある薬酒だという。

 中国科学院大学考古学・人類学系(学部)の楊益民(Yang Yiming)教授は「今も窒素・炭素の安定同位体の測定や微量な植物化石の分析、プロテオーム解析などを続けている。原料や制法、効能に関するより多くの情報が得られる見込みだ」と明らかにした。

 三門峡市文物考古研究所の鄭立超(Zheng Lichao)所長は、「当時の壺の首はニンニクの球根の形をしたものが多く、ハクチョウの頭部をかたどった造形は個人が特別に作らせたものだろう。個性的で非常に珍しい。液体の分析結果に基づけば壺は酒器であり、頂部にある小さな穴から酒を注いだのだろう」と述べた。

 青銅壺は同市後川村の古墓群から出土した。墓の形式とその後の調査により、前漢初期のものと判断された。被葬者は身長1・8メートル前後の男性と推定されるが、遺骨の状態が悪いため年齢や死因は分かっていない。

 同墓からは銅器や玉器、陶器、鉄器なども出土した。銅器には銅鏡、銅印、銅盆、銅飾品などが含まれる。また、鉄剣には四つの玉の装飾品からなる玉剣具も付いていた。 

 鄭氏は「宝剣が出土したのであれば身分は武人のはず。銅鏡や銅の装飾品は容姿に気を使っていたことを示している。ハクチョウの首をかたどった壺に美酒を入れていたことをみると、被葬者は生活の質を追求する人物だったと考えられる」と説明した。

 古墓群は後川村のバラック地区再開発に伴い三門峡市文物考古研究所が2017年から3回に分けて考古学探査と発掘を実施。戦国時代から近代までの墓葬600基余りを発見した。中でも秦漢時代(紀元前3世紀~3世紀)、唐宋時代(7世紀~13世紀)、明清時代(14世紀~20世紀)の墓が最も多かった。

 鄭氏は「出土した陶器に見られる『陝亭』『陝市』などの刻印や一部の墓誌の記述を考えると、ここは陝州城の集団墓地だったと推測される」と述べた。

 同古墓群では、秦漢期の墓から銅器が出土したが、その後少なくなり、陶釜や陶盆、陶甑など生活用陶器が増えた。鄭氏は「度重なる戦乱で秦から漢にかけて人口が減少し、経済も衰退した。前漢の副葬品は土器や陶器が中心で、裕福な家でのみ銅器を副葬した」と指摘。複数の銅器が見つかったのであれば、被葬者は普通の身分ではなかったはずとの見方を示した。

 三門峡は「白鳥城」とも呼ばれ、毎年1万羽近くがシベリアから飛来し、黄河の湿地で冬を越す。首を曲げたハクチョウの頭部をかたどった青銅壺の出土は、同市の美名の文化の深さを示すものだといえよう。(c)Xinhua News/AFPBB News