【9月23日 AFP】1980年9月22日、今からちょうど40年前にイラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領がイランを攻撃してイラン・イラク戦争が始まった。衝突は、1988年8月に停戦が成立するまで8年にわたって続いた。

 停戦の前年、イラクはイランの町サルダシュト(Sardasht)に毒ガス攻撃を仕掛けた。この攻撃では多くの人が犠牲となり、毒ガス攻撃を生き延びた人もその時の影響で今も苦しみ続けている。

 毒ガス攻撃の生存者でつくる団体で代表を務めるサレハ・アジズポア(Saleh Azizpour)氏は、「戦争で脚や腕を失った人には、義足や義手をつけることができる」「だが肺を焼かれたら、誰が代わりに呼吸をしてくれるのか」とAFPの取材で語る。

 イラン北西部にあるクルド人の町サルダシュトへのガス攻撃は、1987年6月28日に起きた。これは、市街地の民間人を故意に標的にした初めての化学兵器による攻撃と考えられている。アジズポア氏は、「死傷者は生後3か月の乳児から70歳男性にまで及んだ」と語り、「全員が民間人だった」と説明する。

 公式発表では死者119人、負傷者1518人とされているが、当時25歳だったアジズポア氏によると被害者の数はこれよりも多いという。

 この時に使われたガスについて専門家らは、マスタードガスだったと断定している。約8000人が攻撃にさらされ、生存者の多くが長期にわたる体の異常に悩まされ続けている。

 サルダシュトの公共保健ネットワークを率いるある医師は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響は、毒ガス攻撃の生存者らにとって特に脅威になっていると指摘し、「彼らの免疫系は弱く、(感染したら)生存の可能性は低い」と説明した。