【8月26日 AFP】100万人近いイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)が、ミャンマーからバングラデシュに逃れてから25日で3年を迎えた。昨年は難民キャンプで約20万人が参加する集会が開催されたが、今年は新型コロナウイルスの影響で、粗末な水漏れがする小屋の中で1日中「無言の抗議」をする。

 2017年8月のミャンマー軍の弾圧によって75万人のロヒンギャが、ミャンマーのラカイン(Rakhine)州から、既に20万人が避難していた隣国バングラデシュに逃れた。この弾圧は、国際司法裁判所(ICJ)がロヒンギャへのジェノサイド(集団殺害)をめぐる裁判を開くきっかけにもなった。

 3年後の今、ロヒンギャ難民は仕事もなく、子どもたちにまともな教育を受けさせることもできず、帰国する見通しもほぼ立っていない。少数派のイスラム教徒が大半を占めるロヒンギャはミャンマー国内では長年、劣った侵入者として扱われてきた。

 難民キャンプの指導者モヒブ・ウラー(Mohib Ullah)氏は、ミャンマー軍は「われわれを1万人以上殺害した。殺りくを行い、レイプをし、われわれを家から追い出した」とAFPに語った。

 ウラー氏は昨年の追悼記念日には、60万人がひしめき合って不衛生な環境で暮らす世界最大規模の難民キャンプ「クトゥパロン(Kutupalong)」で、約20万人が参加する抗議集会を主導した。

 バングラデシュ当局はロヒンギャへのいら立ちを徐々に募らせている。1年前から難民キャンプ内のインターネットを遮断している他、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)を理由に集会を禁止している。

 バングラデシュ軍が無秩序に広がる難民キャンプを有刺鉄線で囲ったため、難民キャンプは他の地域から隔離されている。また、キャンプ内の移動も制限されている。

 今年の「ジェノサイド追悼記念日」にロヒンギャ難民らは、1日中ボロボロの住まいで静かに祈りをささげる予定だと、ウラー氏は話す。「集会も、仕事も、モスクでの祈りも、NGOも支援活動も、学校も、イスラム神学校も、食料配布もない」

■アパルトヘイト

 バングラデシュとミャンマーは、ロヒンギャ難民を帰還させることで合意している。だが、ロヒンギャは、自らの安全と適切な権利が保障されない限り帰国しないとしている。

 ミャンマーでは今も約60万人のロヒンギャが暮らしているが、大半は市民とみなされておらず、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)が「アパルトヘイト」と呼ぶ状況で暮らしている。

 映像はバングラデシュにある難民キャンプ「クトゥパロン」で暮らすロヒンギャやキャンプ内をパトロールする警察。24、25日撮影。(c)AFP/Sam JAHAN