【8月17日 AFP】レバノンの首都ベイルートの湾岸地区を更地にした4日の爆発は、同国の未来を曇らせただけでなく、人々から愛されていた数多くの歴史的文化財や建築物を破壊し、過去を忘却のかなたに追いやってしまった。

 爆発により、植民地時代、さらにはそれ以前からある建築物の多くは、修復できないほどの損傷を受けた。15年にわたる内戦と政府の怠慢ですでにダメージを被っていたレバノンの遺産は、爆発によってとどめを刺されたのだ。

 トリプルアーチの窓が特徴のエレガントな18世紀の建物も被害を受けた。爆発の数日後、市内スルソーク通り(Sursock Street)にあるそのような歴史的建物の一つに住むタニア・インゲア(Tania Ingea)さんが内部を案内してくれた。インゲアさんの親族の名前を冠するこの通りには、全盛期時代の貴族を想起させる数多くの遺産が残されている。

 建物内部に入ると、各階に置かれたオスマン帝国時代の工芸品や芸術品はことごとく損傷しており、まるでひどくいたずらされた後のような様相を呈していた。

 ベイルートで発生した大規模爆発については、肥料として広く用いられている硝酸アンモニウムが原因となった可能性が指摘されており、これを政府が放置したとして非難されている。

■冒涜(ぼうとく)の物語

 隣接するスルソーク博物館(Sursock Museum)は、文化財や芸術品の保護や展示が十分でないレバノンにおいて、文化的側面における導き手のような存在だ。数か月前にはパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)展を開催したばかりだった。しかし今、この博物館で見られるのはベイルートでの冒涜行為の物語に他ならない。

 当初、邸宅として建てられた建物が博物館に様変わりしたのは、1912年の完成から50年が経過してからだった。その後、8年間の改修工事を終えて2015年に再開し、同国の「黄金時代」にあたる1960年代の絵画作品も展示していた。

 今回の爆発について、博物館の広報担当者は、20〜30作品が損傷を受けたことを明らかにしている。

 被害に遭った作品の中には、オランダの画家キース・バン・ドンゲン(Kees Van Dongen)が1930年代に描いたニコラス・スルソーク(Nicolas Sursock)氏の肖像画もあった。(c)AFP/Hashem Osseiran