■「娘さんはもう死んでいる」

 一夜明けても、現場の混乱は収まらなかった。降り注いだガラスの破片でけがをした人々が、壊れた機材やがれきであふれるオテル・デュー病院の廊下を一晩中さまよっていた。

 子どもの容体を必死に尋ねる母親たち。他の病院から移送された妻の様子をすがりつくように尋ねる老人。聞こえてくるのは耳障りな携帯電話の着信音と、疲れ切った声で交わされる会話。大抵は爆発をどう生き延びたかという体験談だった。

 オテル・デュー病院のジョルジュ・ダバール(George Dabar)院長によると、同院では4日に少なくとも300人の負傷者を治療し、うち13人が死亡した。15年にわたったレバノン内戦中、医学生だったダバール医師は「当時でさえ、昨日のような光景は見たことがなかった」と述べた。

 ある少女の家族のことを思い出しながら、ダバール医師の声は震えた。「幼い娘を助けてほしいと運んできた父親に、娘さんはもう死んでいると言うのは本当につらかった」

 病院では少なくとも5人の看護師が死亡し、医師や患者数人が重傷を負った。「この国のもろもろの状況、それからコロナウイルスの流行のせいで医療チームはすでに疲れ切っていた」「けれど昨日の危機的状況を前にして、みんな素晴らしい団結を見せた」とダバール院長。調理師から保守係まで、スタッフは一丸となって病院を開け続けた。