【8月15日 AFP】終戦から75年、広島と長崎に落とされた原子爆弾による壊滅的な被害を生き延びた最後の世代は、それぞれのメッセージが後世にしっかりと受け継がれるよう精力的に活動を続けている。

「被爆者」──文字通り、爆弾にさらされた人──は何十年もの間、核兵器の廃絶を求める強力な声となってきた。

 現在、被爆した生存者の数は13万6700人と推定され、そのうちの多くは当時まだ幼い子どもか母親のおなかにいる赤ちゃんだった。

 厚生労働省によると生存者の平均年齢は83歳を上回っているとされ、被爆体験の記憶や核兵器の禁止を求める活動をどう伝承するかという課題は、待ったなしの状況なのだという。

「私たちヒバクシャが言っているのは、とにかく(原爆を)繰り返しちゃいけない」と、長崎の原爆を生き延びた田中照巳(Terumi Tanaka)さん(88)はAFPの取材で語った。

「それはわれわれが体験した事実を知ってもらうこと。どうやって知ってもらうかということと、知ってもらう内容を限りなく伝えていくというのが私たちの仕事」

 原爆が故郷の長崎に投下された時、田中さんは13歳だった。広島に投下された最初の原爆では14万人が犠牲となり、その3日後に長崎に落とされた原爆では、さらに7万4000人の命が失われた。

 田中さんは核兵器の恐ろしさを説明することで人々が核の廃絶を支援してくれると信じ、被爆体験を語ることに人生の大部分を費やしてきた。

 しかし、原爆を体験した生存者の数が減り続ける中、自分らのメッセージを今後も語り継ぐ伝承者の必要性は感じているという。

「みんなやがていなくなりますから、私たちは」

「『ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会』をつくってある。私たちが書いたものや運動の記録を全部アーカイブみたいにして保存していこうと。保存したものを使って(次の世代が)宣伝をする」