【8月2日 AFP】ジャクリーン・シャハーダ(Jacqueline Shahada)さんは、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)の境界沿いで行われたデモの最中に片目を失った時、夫と子どもたちも失うとは思ってもみなかった。

 2018年11月、その日も半年前から毎週金曜日に繰り返されてきたように、1948年のイスラエル建国に伴い祖先らが奪われた土地の返還を求め、何千ものパレスチナ人がイスラエルとの境界に集結していた。

 デモ参加者らはタイヤを燃やし、境界の向こう側の厳重な警備を敷くイスラエル軍に石と火炎瓶を投げつけた。すると、イスラエル軍は発砲してきた。

 30代前半の細身でベールを着けたシャハーダさんは、その様子を現場で見ていた数千人の一人だった。男性中心のデモだったが、シャハーダさんは女性にも参加する権利がある、と自分自身に言い聞かせていた。

「突然、目の中が焼けるように感じて意識を失った」とシャハーダさんは言った。ゴム弾で撃たれたのだった。

 目のけがは今ではほとんど目立たなくなったが、イスラム原理主義組織ハマス(Hamas)が支配するガザ地区での暮らしは破壊された。

「殺されてしまえばよかった。その方が楽だった」とシャハーダさんはAFPに語った。

 シャハーダさんの体験は、ありふれたものだ。AFPはガザ地区やエルサレム(Jerusalem)、ヨルダン川西岸(West Bank)で、イスラエル軍に撃たれて片目を失ったパレスチナ人10人に会った。

 ある人は衝突に巻き込まれ、またある人は単純にその時いた場所とタイミングが悪かった。イスラエルの占領に立ち向かい傷ついた人はパレスチナ人社会でもてはやされることも多いが、みな傷つき、人生も破壊されている。

 イスラエル軍によるとガザ地区沿いでは、パレスチナ側の暴徒の暴力が激化し、兵士が危険な状況に陥った時のみ、指示に従い狙撃手が発砲できるとしている。

 イスラエル軍にシャハーダさんの件と実弾使用について問い合わせたところ、イスラエル軍は「安全保障上の挑戦」に直面していると強調。「そうした暴力的な暴動に参加するガザ地区住民の負傷者を減らすための可能な限りの手段は取っている」と述べた。