【7月27日 People’s Daily】「温和(Wen He)くん。君は来学期、別のキャンパスで勉強するんだよね。僕たちは君に会いに行くよ。君もいつでも戻ってきて、僕たちをまた見守ってね」

 中国遼寧省(Liaoning)にある理工系の国家重点大学・遼寧工程技術大学(Liaoning Technical University)。留学生が住む学生寮の前で、李太陽(Li Taiyang)さんが温和さんに感極まった口調で話した。「温和」は、ナイジェリア人留学生Umunnah Obinna Ifeanyiさんが自分につけた中国名、「李太陽」はバングラデシュ人留学生Md Abdullah Al Sadidさんが自分につけた名前だ。2人は以前、口げんかをしたこともあったが、今では親しい友人となった。

 新型コロナウイルスが拡大した時期、遼寧工程技術大学の国際教育学院はすぐに感染防止策を考え、教職員は留学生の学生寮を24時間態勢で見守り続けた。同時に留学生からボランティアを募り、最初に手を上げたのが、通信技術を学ぶ大学院生の温和さんだった。

「コロナは世界共通の敵。私ができることで、大学と留学生仲間を守りたかった」

 遼寧工程技術大学では23か国から100人以上の留学生が学んでいる。温和さんは毎日2回、留学生の体温を測ったほか、大学が提供した手袋やマスクの配布、寮内の消毒、日用品の一括購入などを行った。

 当初、温和さんは他の留学生から苦情を言われることがしばしばあった。「留学生の中には、こんな生活が続けば学問に影響が出ると感じる人もいました」と温和さん。李太陽さんと口論したのもその一つだった。

「私が自分に『温和』と中国名をつけたのは、問題があった時でも常に冷静でいられるようにと考えたからです」。彼は態度を変えず、その後もボランティアを続けた。

 留学生たちが先の見えない日々に不安になった期間、温和さんはいつも前向きな姿勢で仲間を励まし続けた。「毎日、最新の感染対策のニュースを共有したり、これまでにみんなが中国で旅行した時の面白い話を話し合ったりしました。中華料理を作って、みんなに振る舞った時もありました」

 温和さんは次第に、留学生仲間の信頼を勝ち取っていった。温和さんの誕生日には、多くの留学生が通話アプリ微信(WeChat)を通じて祝福のメッセージを送り、温和さんを感動させた。「私は自分ができることを少ししただけ。みんなのサポートに支えられ、本当に満足です」

 温和さんはいつもナイジェリアの家族や友人と連絡を取り、中国における「コロナとの戦い」を伝えている。「ある友人は、武漢市(Wuhan)にわずか10日間で1000床のベッドを持つ大型病院が建設された話をしていました。私がその病院建設に関するビデオを送ったら、彼は非常に感銘を受けていましたよ」

 温和さんはいま、あらためて思う。「中国が新型コロナウイルスと向き合い、克服したことは間違いなく世界各国の手本となりました」

 温和さんは今も毎日、中国語を熱心に勉強している。「いずれ帰国したら、母国で中国文化の講座を開きたいんです。ナイジェリアの人々に、私が感じた中国の発展ぶりを伝えていきます」 (c)People's Daily/AFPBB News