【7月25日 Xinhua News】中国四川省文物考古研究院は22日、同省眉山市彭山区で戦国時代から明清時代の古墓群「大墳包墓地」を発見したと発表した。専門家は、古代に現在の四川省一帯で栄えた「古蜀国」の末裔が死者を埋葬した場所との見方を示す。

 今回の発掘調査を指揮した同研究院の李万濤(Li Wantao)館員によると、墓群は彭山区江口街道五一村の貧困世帯向け支援住居の建設用地で見つかった。同研究院は彭山区文物保護研究所と共同で今年3月末に発掘調査を開始。今月下旬までに墓葬165基、灰坑13カ所、溝状遺構11カ所、陶窯3基を発掘した。年代は戦国時代後期から前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、唐、宋、明、清の各時代にわたり、土器や陶器、銅器、鉄器、磁器、木器などの遺物900点(組)余りが出土した。

 李氏は「墓群は年代の幅が広く、2千年以上にわたり続いている。密度も高く、平均5~6平方メートルごとに墓がある。まだ三分の一程度の発掘だが、今後も多くの発見があるだろう」と語った。

 古蜀国については歴史書に「周の慎王5(紀元前316)年秋、秦の大夫の張儀(ちょう・ぎ)、司馬錯(しば・さく)、都尉墨(とい・ぼく)らが石牛道から蜀を討伐した。蜀王は葭萌(かぼう)でこれを迎え撃ったが敗れた。王は武陽まで逃れたが、秦軍に討たれた」との記載がある。李氏によると、蜀王は国が秦に滅ぼされると、敗走して武陽城で死んだとの伝説があり、蜀王の一族や臣下の子孫はそれ以降ずっと武陽城で暮らしたという。武陽城城址は成都市の南約60キロの眉山市彭山区武陽鎮にある。

 今回発見された墓群は武陽城遺跡の北に位置している。墓葬の出土品も同遺跡の出土品と類似性が認められることから、墓群は古蜀の子孫が埋葬された場所だと確認できるという。

 李氏は「大墳包墓地は分布面積が広く、多様な埋葬様式を持つ。年代の幅は戦国時代後期から明清時代まで連綿と続いている。埋葬の継続性と副葬品の変化は、古蜀文明が中華文明に融合していくプロセスを反映しており、高い学術的価値がある」と述べた。(c)Xinhua News/AFPBB News