【7月22日 AFP】米国で第2次世界大戦(World War II)中に強制収容所に送られた日系米国人を象徴する存在だったユキ・オキナガ・ハヤカワ・ルウェリン(Yuki Okinaga Hayakawa Llewellyn)さんが、今年3月に亡くなっていたことが分かった。80歳だった。

 米カリフォルニア州ロサンゼルスの駅で一人、スーツケースの上に座るルウェリンさんの姿を捉えた1942年の写真は、米国による日系人収容の残酷さを示すものとなった。

 日系米国人は戦時中、米政府から危険な存在とみなされ、12万人以上が西部各州や南部アーカンソー州の強制収容所に連行された。米政府は後に強制収容を謝罪し、賠償金を支払っている。

 写真の中で不安げな表情をしたルウェリンさんは、同じく米国市民の母親と共にカリフォルニア州のマンザナー(Manzanar)強制収容所に向かっていた。同州北部のシエラネバダ(Sierra Nevada)山脈のふもとにある荒野に建てられたマンザナーは、有刺鉄線で囲まれ、日系人強制収容所の中でも特に悪名が高い場所となった。

 ルウェリンさんと母親は早期に収容され、解放された時期も遅かった。米紙ニュース・ガゼット(The News Gazette)によると、一家は解放後、中西部オハイオ州クリーブランド(Cleveland)に転居。ルウェリンさんは大学に通い、結婚し息子をもうけた。

 ルウェリンさんの訃報は新型コロナウイルス流行の陰に隠れていたが、家族の友人が米紙ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)に連絡したことで大きく報じられた。(c)AFP