それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの西川 淳さんが選んだのは、「フェラーリ365GT4/BB」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

大切な財産の礎

手紙とFAXを頼りに個人輸入したベルリネッタ・ボクサーが繋いでくれた、人と人の縁こそが日々の人生を楽しくする財産と西川 淳は振り返る。

鮮明な記憶として残っている最古のクルマは叔父のセリカ(SA22)だ。大学生だった彼の運転するセリカが幼稚園の門から入ってくる。教室からめざとく見つけた園児のボクは「おじさんのセリカや!」と指差し叫んでいる、誇らしげに……。そんな映像だ。その頃すでにクルマ好きだった。マッチボックスをしゃぶりながら育ったようなものだったから。けれどもミニカーはミニカーでしかない。ホンモノに興味を持ったのはセリカから。助手席から仰ぎ見るレイバンを掛けた叔父の一挙手一投足に憧れた。クルマ好きを決定したという意味でダルマ・セリカの存在は大きい。けれども叔父とのセットでしかなかった。

長じてボクが最初に買ったクルマもまたセリカで二代目XX、今でいうスープラだ。とはいえそれもまた好きで憧れて買ったのではなく、好きなクルマとほんのわずかな共通点を見つけて決心したようなものだった。

共通点は色。二代目XXの前期にはストリート・トーニングという名の赤黒2トーン・カラーがあった。リトラクタブル・ライトのクーペ・ボディで下半分がブラック。その配色が小学生時代から憧れてきたクルマとよく似ていた(と当時は思っていた)からである。

似ていたのはフェラーリの12気筒ミドシップ、ベルリネッタ・ボクサー。

昭和40年生まれ、「スーパーカー・ブーマー世代」のど真ん中で、小学5、6年のときブームが最高潮を迎えた。故郷の奈良にはランボルギーニが多かったが憧れたのはフェラーリ。クラスメートの大方がカウンタック派だったことへの反動かも。はたまたこっちは昨日今日クルマ好きになったわけじゃないという意地か。

スーパーカーの絵をよく描いた。なかでもBBが多かった。当時はカウンタックより美しいと思っていたに違いない。365より512を好んだのはチンスポイラーがあって描きやすかったから。おそらくそんな絵を描きながら少年は心に決めていた。大きくなったらBBを買うぞ、と。

社会人になりバブルも弾けて“夢のまた夢”が“ちょっとした夢”となって急に降りてきた。円高が進み海外での価格が恐ろしく安くなったのだ。FAXと手紙のやりとりでカリフォルニアの有名店からBBを買った。365に決めた。初期型がいいという高尚な話じゃない。約9万ドル(当時は1$=80円台)と安かったからだ。とはいえ29歳には大金で借金してかき集めた。

現物確認もせずに個人で中古並行輸入したBBが無事、日本にやってきた。運転席に座りクリーム・イエローのエンブレム越しにオレンジで刻まれた330km/hの速度計を見たときの喜びといったら!けれどもそんな喜びも束の間、引き取って自宅に戻る道中には246号線の渋滞にハマって、岩のように硬く重いクラッチと背後で唸る12気筒エンジン、容赦のない異様な熱気に「えらいもん買うてしもうたかも」と思ったものだった。

案の定、ガレーヂに仕舞い込んだままの時間が年々長くなっていく。クルマ雑誌の編集の仕事が忙しくなったというのもあった。いつしかBBはほとんど走らなくなっていた。

もう一度元気に走らせたい!そう思ったのは会社を辞めてからだった。いっそレストアをと思っている、と旧知の編集者に漏らすと、それをネタに連載しないか、と提案された。これがフリーランサーとして初めての仕事、初めての連載となった。

サラリーマン時代にBBを買い、多くの知己を得た。クルマを媒体に望めばどんな人たちにもアクセスできたのだ。良き理解者に恵まれた。フリーランスになった後もクルマを通じて知った人たちは変わることがなかった。今でも筆者の日々を楽しく支えてくれているのはそうして知り合うことのできた仲間たちだ。

人生を変えたBB。黄と黒の2トーン・カラーの美しい駿馬が“人生の仲間”というこの上なき財産の礎だった。

文=西川 淳(自動車ジャーナリスト) 写真=芳賀元昌

(ENGINE2020年7・8月合併号)