それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの武田公実さんが選んだのは、「ブガッティEB110」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

最高のチャレンジだった

自身がグループ社員として広報活動を行い、テスト走行でステアリングを握ったブガッティEB110は、自分の人生の誇りだと、武田公実は思っている。

エットレ・ブガッティのイニシャルEBと生誕110年から命名されたスーパー・スポーツ。3.5リッターV12ターボを搭載、最高出力560psを誇る。

今をさること半世紀前、物心ついたころから自動車という乗り物に強く惹かれ、あれよあれよという間に、某インポーターの営業担当者として自動車業界の門を叩いてからは30年の時を経てしまった筆者の人生に最も大きな影響を及ぼしたクルマは、いわゆる「ハイパーカー」の先駆け、1990年代前半に登場したブガッティEB110である。

EB110は、カーボンファイバー製モノコックに4基のターボチャージャーを組み合わせたV型12気筒エンジンを搭載。4輪を駆動するという、現代のハイパーカーでは常道となっているテクノロジーを1990年代に実現した、文字どおり「ハイパーな」スーパー・スポーツ。そのインパクトと歴史的な意義は、申し分ないものとも言えよう。

しかし筆者がこのクルマ、そして当時のブガッティ社に格別の想いを抱く理由は、ただ一つ。その日本事務所である「ブガッティ・ジャパン」のいち社員とはいえ、筆者自身もグループの末端として、この時代のブガッティが描いた「夢物語」に加担していたからである。

1993年春、留学と称してイタリアに渡った筆者は、ひょんなことから「ブガッティ・アウトモービリ」社の本拠、モデナ近郊のカンポ・ガリアーノ工場を訪ねる機会を得た。また、開祖エットレ・ブガッティが、自身の生活に関わるすべてのものを自らデザインした故事に倣い、オーストリアとの国境に近いボルツァーノに発足させたアパレル・ブランド「エットレ・ブガッティ」社も訪問することができた。

そしてこの訪問で、ロマーノ・アルティオーリ会長をはじめ、複数のスタッフたちと親しく接したことにより、彼らがブガッティを自動車という工業製品に留まらない、文化として捉えていること。さらには、かつて開祖エットレが築き上げた「ブガッティ文化」の再興までも本気で目指していることを肌で感じて、是非ともその夢に自分も賭けてみたいと熱望するに至ったのだ。

そんな筆者の想いを、ブガッティは受けとめてくれた。就労ビザの取得が困難なイタリア本国で働くことはかなわなかったものの、まずは日本のブガッティ・ジャパンに見習いとして勤務。某インポーター時代からの広報的業務に加えて、雑用までなんでもこなし、そのすべてが堪らなく楽しいものに感じられた。

また「テスト走行」と称して、たまさか運転するチャンスを得ることのできたEB110は、本当に素晴らしかった。いつかはカンポ・ガリアーノ本社勤務となる日を夢見つつ、ブガッティ・グループの一員である日常を満喫していたのだ。

しかし、それからの悲劇的顛末は読者諸兄もご存じのとおりだろう。イタリア時代のブガッティ・グループは、英ロータス社買収に代表される過大な投資が圧し掛かって、1995年をもって経営破綻。そののち、VWグループの庇護のもと、フランス・モールスハイムを拠点に現在の隆盛を取り戻すまでは、しばしの休眠を余儀なくされる。

そして、グループの社員たちは夢を喪ったばかりか、失業によってその後の人生も大きく狂わされることになったのだが、少なくとも筆者自身は、このチャレンジに加わったことに後悔はまったくなく、むしろ誇りにさえ思っているのだ。

終焉から四半世紀もの時を経た昨今では、EB110を見る機会もなかなか望めなくなってきているのだが、昨年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスを訪ねた際に、GTとSSが並んでいる姿を偶然目にした。また、時を同じくしてブガッティ本社からEB110にオマージュを捧げた限定モデル、その名も「チェントディエチ(イタリア語で110)」が発表されたと聞いて、柄にもなく感涙してしまった。

それは、1台のクルマが時空を超え、人ひとりの生涯さえも左右してしまうことがあるという、極めて私的な証だったと思うのである。

文=武田公実(自動車ジャーナリスト)

(ENGINE2020年7・8月合併号)