【7月9日 AFP】元共産主義者で地下活動をしていたラウ・マンシン(Lau Man-shing)さん(91)は、英国統治時代の香港で、裁判を経ずに投獄された経験がある。ラウさんは今、中国政府が先月香港に導入した国家安全維持法によって、香港の新しい世代の反体制派が自分と同じような運命に苦しむのではないかと恐れている。

 1929年北京に生まれ、家族と共に香港に逃れてきたラウさんは、1967年の左派による「暴動」の最中に、英国の非公式な施設に収容された著名な反体制派の一人だった。

 ラウさんは当時、中国共産党の忠実な支持者で、反植民地主義の活動に傾倒していた。それから50年後、民主主義を切望しているラウさんは、1997年に香港が中国に返還された時に、香港市民はある独裁者の手から別の独裁者の手にひき渡されただけだったのだと確信している。

「多くの人が、香港は徐々に、最終的に普通選挙権を得るという中国の約束を信じていたものだった」とラウさんはAFPに語った。「だが、中国政府は香港に対する支配を強めており、強大な力によって反対の声を抑圧している」

 中国政府は6月30日、数か月に及ぶ大規模な、時には暴力的な民主主義を求める抗議活動の拡大を受け、国家安全維持法を導入した。

 前回、香港が同じような政治的混乱に陥った時、ラウさんはまさにその中心にいた。

 植民地支配に対する怒りと、中国での文化大革命(Cultural Revolution)の影響がきっかけとなった1967年の香港暴動では、51人が死亡した。貧困と汚職がまん延する時代に労働争議として始まった抗議活動は、大規模な闘争へと変化した。

 抗議活動は当初、大衆を引き付けた。

 だが、左派の爆弾により子ども2人を含む数十人が死傷し、反共産主義者の著名なラジオ番組司会者が車内で生きたまま焼かれたことで世論は変わった。英国は、多数の緊急条例を発動し、抗議活動と左派系の出版物を禁止した。