それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの小川フミオさんが選んだのは、「T型フォード」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

究極的な魅力がある

ヘンリー・フォードにより自動車の大量生産の先駆けとなったことで知られるT型フォード。 そして、さらにアメリカの文化にも多大な影響を与えたと小川フミオは考える。

私が「T型フォード」を操縦したのは、1980年代だった。場所は米国のサウスカロライナ州だったか。オーナーズ・クラブ会員のひとのクルマに乗せてもらったのだ。

感激した。

「ステアリングにストッパーがついていないから切りすぎると横転するよ」などと注意を受けてドキドキしたし、速度は遅く、乗り心地も思ったほどよくなかった。

しかし、私は大学でアメリカ文学専攻だったので、T型に乗れたのは最高に嬉しかった。

なにしろアメリカ文化はT型と切り離せない。

たとえば1930年代のダストボウル(砂嵐)で農業が崩壊したためカリフォルニアへと移動する人々の苦悩を描いたジョン・ステインベックの大傑作「怒りの葡萄」に出てくるのはT型だ (この小説は自動車好きが読んでもおもしろいと思う) 。

また、私が好きな音楽のジャンルのひとつ「アメリカーナ」もT型と縁がある。アイリッシュトラッド、ブルース、ハワイアン、カントリーアンドウェスタンなどが含まれるアメリカーナにおける代表的なミュージシャンのひとりが、アコースティックギターを抱えてフォークソングを歌うウディ・ガスリーだ。

ガスリーは「怒りの葡萄」に描かれた30年代、T型の改造トラックで銀鉱さがしをしたり、不況のなか仕事を求めて、大陸を行ったり来たりした経験を持ち、それを歌の題材にしているのだ。

私が乗ったT型こそ、米国を作ったといってもいいぐらいのプロダクトなのだ。米国文化の洗礼を受けていた身として、感無量だった。

私が最初に好きになったのは、父が中古で購入した、だいぶくたびれたダットサン1000だったが、疑似体験的であるにせよ、思い入れが強かったのは、上記のような理由で、T型である。

T型は、ヘンリー・フォードが量産という概念を持ちこんだことで画期的なモデルとされている。なるべく多くのひとに、安価に、クルマを届けようというのが、フォードの考えだった。そのため「一つの型式と、簡単な構造」であることを肝に銘じた、とフォードは自伝に記している。黒い塗色しかなく、それにクレームをつけたユーザーに向かってフォードが「好きな色に塗ってあげよう、ただし黒ならば」と答えたエピソードが有名だ。

1908年から27年まで作られた。そのあと米国では、市場がぜいたく志向になり、製品のバリエーションも増えた。そこをダストボウルと世界恐慌が襲ったのだった。

開発者じしんが簡単な構造を旨としただけあって、私が乗ったT型はたしかに、4つの細いタイヤが無蓋の箱を吊り下げているような、簡単なつくりだった。

ヘンリー・フォードは、自動車作りの構想を温めているとき、独ベンツ社の車両などを見て、 「重すぎると思った」とも記している。軽量化が重要なことを知っていたのだ。

車高は運転席が高くて、現代のGクラス (1975㎜) ほどはないが、それでも10年代の「ロードスター」仕様などは1860㎜もあった。私が乗ったのは、まさにそんな仕様だ。運転席によじのぼったなあ。

クルマ好きは、だんだん時間をさかのぼっていく、と私は思っている。自分のことでいうと、フォードT型はおいといて、いちどは所有してみたいのは、オースチン7 (1922-37年) なのだ。ミニマルな設計というのがT型との共通点だ。

スタイリングでも構造でも装備でも、いろいろ"増し増し"にするのはむしろ簡単で、極限までシンプルに作るのはむずかしい。でも究極的に魅力がある。これは1947年に建築家のミース・ファン・デル・ローエの唱えた 「レス・イズ・モア」 というデザイン思想とも通じるように思える。 自動車はおもしろいのだ。

文=小川フミオ(自動車ジャーナリスト) 写真=FORD

(ENGINE2020年7・8月号)