それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの今尾直樹さんが選んだのは、「シトロエンGS」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

私がGSから学んだこと

某自動車雑誌で働きはじめて 2年くらいたった ある日。上司のSさんからタダで シトロエンのGSをもらった のがはじまりだった。

1970年秋発表のGSはベーシックの2CV系と高級車のDS系のギャップを埋めるべく開発された小型車の傑作で、大衆車なのに高級車並みの快適性を実現していた。1.2Lフラット4は59ps。理想が高すぎて、とめどなく壊れた(らしい)。今回、も らったGSの写真を探したのですが、見つかりませんでした。クルマに対する愛情が薄いゆえでしょうか、そもそも愛車を撮る習慣がないので、こちらはGSのメーカー写真。

1985年8月のことだった。SさんからシトロエンGSをもらったのは。Sさんが13万円で手に入れた10年落ち、75年の白い1220クラブで、走行距離は7万㎞台。右ハンドルの英国仕様で、4速MT、メーターはボビン型ではなくて、イタリアのスーパーカーみたいに銀色の盤面にイエーガーの回転計と速度計が並んでいて、超カッコよかった。1本スポークのステアリングホイールはグリップの内側のゴム部分が一部溶けていて、フカフカのシートの運転席はややヘタっていたけれど、ブルーの内装の生地はどこも破れていなかった。オイル漏れ以外、機関好調で、エンジンがかかると、ハイドロニューマティック・サスペンションにオイルが回り始め、動物のようにムクムクとお尻から持ち上がって、始動するたびに愛おしく思った。

私は某自動車誌の編集部で働き始めて2年目で、上司だったSさんはこの頃、安いシトロエンを買ってきては苦労するのがマイブームだった。で、もともとはそのGS、 「買わないか」と言われていたのですけれど、お断りしていた。そしたら、ある日、Sさんがこう言った。 「あげるよ」 。

タダでもらったGSのために、当時住んでいた北池袋で見つけた一番安い駐車場が確か1万8000円だった。学生のときから住んでいた越路荘の5畳半は家賃1万5000円。GSの寝床のほうが高かった。

GSは私にとって初めてのマイカーで、水道橋にある編集部まで、通勤にも使った。あるとき、燃料計がゼロを指しているのに、まだ大丈夫だろうと思って走り続け、会社の駐車場に駐めた途端にエンジンが止まった。燃料計は正しい。クルマはガソリンで走ることを実感した。

9月に信州の菅平高原まで行った。GSは長距離が得意だった。ああいうフンワリした乗り心地は、いまの自動車にはない。空冷フラット4のまろやかなサウンドもヨカッタ。4輪ディスクのブレーキはペダルのストロークが小さくて、タイヤをしょっちゅうスキッドさせていた。菅平から善光寺に寄ったら門前で突然エンジンが止まった。あちゃー、壊れた??と思考も止まった。冷静になってトランクに入れていた1リッターのオイル缶を注ぎ足したらすぐに再始動してヨカッタ。

翌年の正月休みに学生時代の友だちの兵庫県・宝塚の実家まで行った。彼の実家は山の斜面にあって、バックで坂道発進をするはめになったときはあせった。ダッシュボードから生えているパーキング・ブレーキのレバーを思いっきり引っ張ったら戻らなくなったのだ。落ち着いてやり直したら、ちゃんと戻ってヨカッタ。帰りは宝塚から東京まで未明にかけて一気に走った。ヒーターを入れるとオイル臭かったからガマンした。メチャクチャ寒かった。

夏の終わりに湘南までBBQに行った。出るのが遅れたのと、カンパチの渋滞もあって、途中で拾うはずだったひとを炎天下で2時間待たせた。当時は携帯がなかった。待ってもらうしかなかった。いまも謝罪の気持ちでいっぱいです。ぺこり。

カロのフロア・マットが安く手に入るというので広告部のひとに頼んで買ってもらった。GSでつかった最大の出費で3万円。いや、2万だったかもしれない。チェッカー模様のカロを敷いたGSは、グッと自分のものになった気がした。

なのに別れは突然やってきた。譲ってほしい、という希望者が現れたのだ。もらってちょうど1年後。私はこのとき、長期の免停になっていて、乗ってやらないとGSが可哀想という気になっていた。壊れる前に別れたい。という気持ちもあった。ふたつ返事で「いいよ」と言ってしまった。タダでもらったものだからタダで、と続けたはずだけれど、それでは悪いからと言って、奇特な希望者は5万円差し出した。棚からボタ餅ならぬ、タダから5万持ち。ぺこり。かくしてシトロエンGSは私に、自動車というのは単なる商品、モノではなくて、説話なのだと教えてくれたのでした。

文=今尾直樹(自動車ジャーナリスト) 写真=PSA

(ENGINE2020年7・8月合併号)