遠出することができなかった今月の走行距離はたったの61㎞。そのかわり、とっておきの場所で写真を撮りました。 

今月は87号車にあまり乗ることができなかった。コロナ・ウイルスの影響で試乗会やイベントがほとんど中止か延期になってしまい、外へ出る機会がめっきり減ってしまったからだ。そんなわけで、せっかくの桜の季節も、お花見気分にはなれないままに終わろうとしていたある日の早朝、思い立って、散りゆく桜にアルピーヌを絡ませた写真を撮りに行くことにした。

とっておきの場所を紹介してくれたのは柏田芳敬カメラマンで、このページの写真は靖国神社にほど近い一口坂の途中にクルマをいったん停止させて、お堀の桜並木を背景にして撮ったものである。ちなみに、長期リポートのトビラに使ったのは、桜の名所である千鳥ヶ淵で同じ日に撮った別カット。いつも見慣れた風景でも、撮り方によってはこんな情感あふれる"作品"になるという見本のような2枚である。

それにしても、太宰治の「富士には月見草がよく似合う」じゃないけれど、こうやって柏田カメラマンの切り取ってくれた風景を眺めていると、「桜にはスポーツカーがよく似合う」なんて、いささかセンチメンタルなセリフを口にしたくもなってくるのである。もちろん、スポーツカーじゃなくたって、美しい桜の樹の下に置いて写真を撮れば、たいていのクルマが、なんだかとてもいい感じにマッチしているように見えるのは、毎年この季節になるとエンジン誌上でもたくさんの桜写真が掲載されるからよく分かっている。しかし、そんな中でも、とりわけスポーツカーが桜に似合っているように思えるのは私だけだろうか。いや、そんなことはあるまい。この2枚の写真を見れば、多くの読者が私の意見に賛成してくれるのではないか。問題は、なぜ桜とスポーツカーはそんなにマッチするのか、ということだ。

ふとアタマをよぎったのは、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という梶井基次郎のフレーズだった。桜の樹の下には、「馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体」が埋まっていて、腐食したそれらが水晶のような液をたらしている。そして、「桜の根は貪どん婪らんな蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚あつめて、その液体を吸っている」と梶井は書く。さらに「俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ」とも。だからこそ、桜はあんなにも美しく咲くというわけだ。

翻ってスポーツカーはどうか。やはりその美しさの背後にも、梶井のいう屍体のような、たとえば速さを追求するために命を削ってきたドライバーや、数々の苦杯を舐め続けてきたエンジニアたちの怨念のようなものが渦巻いていて、それが「水晶のような液」となってボディの内側に張られた水やオイルの管のなかを巡っている、と想像することはできないか。梶井が「貪婪な蛸」という桜の根のように、スポーツカーも何を犠牲にしても速くなろうとする貪欲さを秘めているのではなかったか。

桜とスポーツカーには同じ貪欲さと潔さがもたらす刹那的な美しさがある。私にはそう思えてならない。

文=村上 政(ENGINE編集長) 写真=柏田芳敬

87号車/アルピーヌA110リネージ
ALPINE A110 LINEAGE
新車価格:844万4000円
導入時期:2020年1月
走行距離:1221㎞

(ENGINE2020年6月号)