【6月4日 Xinhua News】中国のオルドス地方、寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region)と内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)、陝西省(Shaanxi)にまたがるムウス(毛烏素)砂漠の奥地に、1600年前の壮大な古都遺跡がある。東晋時代に北方遊牧民族「匈奴」が築いた統万城だ。中国古代の遊牧騎馬民族、匈奴が建てた唯一の都城とされる。同遺跡は、中国の少数民族が建てた最も完成度が高く、壮大な都城の一つ。遺跡は深刻な土壌浸食と砂漠化の影響を受けていたが、近年の砂漠化対策により緑の史跡に変わりつつある。

 同城は陝西省楡林市(Yulin)靖辺県(Jingbian)の北端、無定河の北岸に位置する白城則村にある。匈奴の貴族出身で大夏国の初代皇帝となった赫連勃勃(かくれん・ぼつぼつ)が413年に造営した。

 統万城は、土を突き固めた「版築」と呼ばれる工法で築かれており、主に石灰、石英砂、白粘土を材料として用いたため全体が白い。そのため、地元の人々からは「白城子」と呼ばれている。統万城の基本的な都市構造は現在も残されており、外郭と内城からなる多重城郭であったことが確認できる。外郭は周囲1万3865メートルで、面積は7・7平方キロ。内城は東城と西城に分かれている。一部の城壁や城門、馬面(城壁の張り出し部分)、角楼の遺構ははっきりと見分けることができるが、城内の主要な建物や道路は残っておらず、高くつき固められた基礎部分だけが跡をとどめている。

 大夏の都城としての命運はわずか十数年にすぎなかったが、統万城はその後も長きにわたり、中国北方の軍事の要衝としての役割を担った。特に唐代末期から五代、宋代初期にかけては、同地と敦煌(Dunhuang)や河西(Hexi)回廊との間の往来が盛んとなり、主な交通路もすべて統万城を中心としていたことから、当時のシルクロードの主要幹線路の重要拠点として栄えた。(c)Xinhua News/AFPBB News