【6月14日 AFP】ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)生存者であるフロランス・シュルマン(Florence Schulmann)さんがいつも心配してきたのは、学校を訪問して自らの体験を語っても現実離れして聞こえるのではないかということだ。「誰にも信じてもらえないのではないかと、とても怖いんです」

 フランスで小売店を経営し、今は引退したシュルマンさんはパリ11区で暮らしている。自らの体験を本名で語ったのは今回が初めてだ。「母が私をこの世に産み落としたのは、遺体の山のそばでした」

 AFPが取材したシュルマンさんと他の2人のホロコースト生存者が明かす、めったに語られない共通体験は、この3人がナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で生まれたことだ。

 ハナ・ベルガーモラン(Hana Berger Moran)さんはシュルマンさんと異なり、学校を訪問して体験を語ることに何の不安も抱いていないと話す。

 ベルガーモランさんは、最先端のバイオテクノロジー企業の品質管理部で働いていた。退職した現在は、米カリフォルニア州オリンダ(Orinda)に住んでいる。だが出生証明書は、オーストリア北部のマウトハウゼン(Mauthausen)強制収容所の記念館に展示されている。そこが登録出生地なのだ。

 米国に住むマーク・オルスキー(Mark Olsky)さんは、アメリカンフットボール選手だったと一目で分かる体格をしている。救急病棟の医師を引退し、シカゴ近郊で暮らす。生まれたのは4月18日から21日の間。正確な日にちは知りようがない。マウトハウゼンに被収容者を運ぶ家畜運搬車の中で生まれたのだ。

 3人とも、生まれたのは1945年。シュルマンさんは独北部のベルゲン・ベルゼン(Bergen-Belsen)で3月24日に、ベルガーモランさんは独東部フライベルク(Freiberg)の収容所で4月12日に生まれた。

 3人の母親は妊娠中に収容所に送られた。シュルマンさんとオルスキーさんはポーランド、ベルガーモランさんの場合はチェコスロバキアからだ。

 収容所が解放されたときに乳児だった現在75歳の3人は、ユダヤ人600万人の命を奪ったホロコーストの筆舌に尽くし難い恐怖を目撃した最後の世代となる。