【5月3日 People’s Daily】3月31日、新型コロナウイルス感染症の医療支援のため湖北省(Hubei)武漢市(Wuhan)に長期滞在していた内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)の医療隊が、故郷に凱旋(がいせん)する日を迎えた。武漢市内の公園で離任式が行われた際、医療隊のリーダー・張析哲(Zhang Xizhe)さんが悲しみの涙を流した。「きょう、私たちを見送る人々の中に、誰もがよく知っている人の姿が見えません。戴勝偉(Dai Shengwei)さん、私たちはあなたを忘れません」

 戴さんは医療隊が宿泊するホテルで医師や看護師を支える活動に従事し、この前日、突然の病により51歳でこの世を去った。離任式の会場では、医療スタッフとボランティアの誰もが目を赤くして、戴さんに哀悼の誠をささげた。

 戴さんは武漢市第17中学校の副校長で、2月にボランティアに志願した。ボランティアとしては高齢で、体調も決して思わしくなかった。受け入れ団体は、彼に慎重に決定するよう促したが、「私は地元の共産党幹部。さまざまな後方支援を受け持つ活動は、私にうってつけです」という戴さんの熱意を最後は受け入れた。

 2月18日、戴さんがホテルに向かった時、妻は日誌にこう記した。「あなたはわが家の大黒柱。本当は行ってほしくないけれど、多くの人が武漢のため立ち上がっている。私たちも力を尽くさないと。あなたは私に見送りをさせてくれないから、窓から遠ざかる姿を見届けるだけ。すべての人が平穏を取り戻し、あなたが戻ってくることを、ただただ願います」

 2月当時の武漢市は物資も人員も不足していた。60数人の内モンゴル医療隊をスムーズに支援するため、戴さんはホテルのフロント役やスタッフ、清掃人、交通警備、荷物運びなどあらゆる仕事をこなした。

 毎朝6時、戴さんはホテルの前に立ち、医療チーム用の朝食が時間通り届くか心配しながら待ち続ける。食事が届くやいなや、温かいうちに食事をテーブルに並べ、廊下を走りながら「皆さん、朝ご飯ですよ!」と大声で叫んだ。その声はまるで目覚まし時計のように、毎朝正確に響き渡った。

 病院が24時間稼働する体制を維持するため、医療隊はチームを分けて活動していた。医療スタッフを搬送するボランティア車両は3台しかない。医師や看護師がひっきりなしに病院とホテルを往復する中、戴さんは車の調整に腐心した。通信アプリ微信(ウィーチャット、WeChat)のグループチャットを絶えず確認して車を手配し、戴さんの携帯は24時間対応のホットラインのようだった。

 ホテル従業員の人手が不足する中、ホテルの衛生管理もボランティアの重要任務だった。早朝と午後、戴さんはボランティア仲間とフロアや階段の隅から隅まで消毒し、医師と看護師がホテルに戻った時に使うアルコール消毒液の補充も忘れなかった。

 車が予定通りに来なかったある時は、戴さんは待ち時間で武漢にまつわる面白いエピソードを話し、医療スタッフの心をほぐした。「とにかく休息を取って体をいたわるように」と繰り返す戴さんを、20代の若いスタッフたちは親しみを込めて「戴パパ」「武漢のお父さん」と呼んでいた。

 内モンゴル医療チームが凱旋の途につく前日の3月30日午後3時、戴さんは離任式の準備をしていた時に突然、病を発症し、応急措置のかいなくこの世を去った。

 信じられない悲報を聞き、内モンゴル医療隊は誰もが声を失った。「朝ご飯ですよ」という声を聞くことも、隊員を常に気遣ったあの笑顔も見ることはできない。

 出発直前、医療隊はウイルスとの最前線でともに闘った戦友に向けて、文章をしたためた。「いま私たちは、涙で何もはっきりと見ることができません。昼夜を問わず医療チームのために尽力し、心血を注いで後方支援の美しいハーモニーを奏でてくれた戴さんを心から尊敬します。あなたはこの世を去ったのでしょうか。いいえ、あなたはずっと私たちの心の中にいます」 (c)People's Daily/AFPBB News