【4月28日 Xinhua News】パミール高原(Pamir Mountains)に暮らす中国の牧畜民は半世紀以上にわたり、生存環境がきびしく発展の余地に限りがある高標高地帯の現状を脱却、改善するために知恵を絞ってきた。2580メートルから1810メートルへ、770メートルの標高差に取り組んだ懸命な努力の末、「五世代が同居する」村を切り開き、4回にわたって移転するという壮挙を成し遂げた村の歩みを振り返る。

 三角形をした紅新村(Hongxin)は山の麓から見上げると、山奥に向かってどこまでも延び、山に近づくほど地面は狭くなる。村の元の名がキルギス語で「狭く小さい」を意味する「タルカイチク」というのもうなずける。

 山すその標高2580メートルの高台に、老朽化した日干しレンガ造りの家が数軒並んでいる。ここには当初、キルギス族の家族が暮らしていたが、1956年に中国新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)アクト県キジルト郷紅新村の村民組織が置かれた。

 ウスマン・ティムールさん(62)は父親世代の人々から、ここは標高が高く、土地が限られ、幅の狭い地形で生産・生活に極めて不便だと聞かされてきた。まもなく人々は移住を考えるようになった。

 1958年初めに、紅新村は5キロ下方へ移転し、村の村民組織の事務所は有力な家の敷地内に置かれ、村の標高は2340メートルまで下がった。

 ティムールさんによると「ほどなく誰もが、この場所は面積が狭すぎる上、村は速いペースで人口が増加し、やはり生産・生活に限界があると気づいた」。相談の末、村は半年後引き続き移転することを決定。1958年夏には、さらに4キロ下り、村の標高は2020メートルになった。

 村の幹部にとっての気がかりは、紅新村の村民委員会が常に山津波の脅威にさらされていることだった。安全面を考え、2015年に村民委員会は2キロ下の、標高2千メートルの山あいの開けた土地に仮の拠点を移した。周辺には文化活動センターや衛生室(診療所)も建設した。

 この間、定住化・牧畜業の振興や貧困脱却堅塁攻略戦などの一連の政策支援を受け、多くの牧畜民が定住を始め、貧困脱却を実現させた。地元政府は2012年以降、同地に牧畜民の定住拠点3カ所を建設し、多くの牧畜民の住まいだった日干しレンガの家は歴史の舞台から姿を消した。

 ティムールさんは「定住型住宅は安全で快適で便利だ」と語り、多くの家庭が水道を使えるようになり、冷蔵庫を購入し、インターネットにも接続していると説明した。

 牧畜民へのサービスをより充実させるため、紅新村の村民委員会は2018年に4回目の移転を実行した。一面のゴビ砂漠だった土地が改良によって真新しい村の拠点へと生まれ変わり、標高は1810メートルになった。

 新しい村民委員会の敷地内には文化娯楽・スポーツ活動広場や村民活動センター、衛生室などが建てられ、敷地の外にはスーパーやレストランも出現。近くには村で最も新しく美しい建物を備えた幼稚園もある。

 貧困世帯として認定されていた164世帯が2018年末、貧困に別れを告げ、紅新村全体が貧困からの脱却を果たした。この半世紀余りに村で起きたとてつもない変化を記念して、村は同年、皆の提案を受け、手続きに従って村名を「タルカイチク村」から、「幸福で現代的な新しい村」の意味を込めた「紅新村」に変更することを決定した。(c)Xinhua News/AFPBB News