【4月23日 AFP】全世界で続いている新型コロナウイルスとの必死の闘いは、およそ1世紀前に起こったスペイン風邪との闘いを思い起こさせる。ここではスペイン風邪が大流行した1918年と19年当時のスポーツ界の状況を、AFPスポーツがいくつか例を挙げて振り返る。

■スペインとは名ばかり

 スペイン風邪は、最大で死者5000万人、感染者5億人を出したともいわれており、人類史上最悪の感染症として悪名高い。

 ウイルスが世界中で猛威を振るったにもかかわらず、スペイン風邪という誤解を招く呼び名が付いているのは、当時、第1次世界大戦(World War I)の影響により各国で報道の検閲が行われていた中で、中立国のスペインでは感染の影響を自由に報道できたため、そこが危機の中心だという間違った印象が生じたからだ。

■伝説の誕生

 米大リーグ(MLB)史に残る伝説の強打者、ベーブ・ルース(Babe Ruth)が誕生した背景には、スペイン風邪と戦争の影響があった。

 欧州での戦いから帰還した兵士によって米国にもスペイン風邪が持ち込まれたが、リーグはシーズンとワールドシリーズを短縮して実施。その中で、当時ボストン・レッドソックス(Boston Red Sox)のエース投手だったルースは1918年3月、アーカンソー州の米軍基地で行われた試合で5本塁打を放ち、打者としての力量を見せつけた。

 ルースはその後スペイン風邪に2回感染し、特に1回目は病院へ緊急搬送されて重体のうわさも出たが、これを生き延びてレッドソックスの優勝に貢献すると、最終的にはワールドシリーズを通算で7度制し、史上最高の野球選手と称されるようになった。

 しかしこの年のワールドシリーズは、スペイン風邪流行の致命的な第2波の原因を作ったとも言われており、この流行では名審判のシルク・オローリン(Silk O'Loughlin)氏が命を落としている。

■チェルシーがタイトル獲得

 第1次大戦の期間中、イングランドの全国レベルのサッカーリーグは休止したが、地域大会は続行されていた。そして見えない敵の侵略が続く中、1919年にチェルシー(Chelsea)はトロフィーも獲得した。クラブの公式サイトによれば、3-0で優勝を決めたフラム(Fulham)戦では、ハイバリー(Highbury)に3万6000人の観客が詰めかけたという。

 しかもチームは、トム・ローガン(Tom Logan)とハリー・フォード(Harry Ford)の2選手が「スペインの貴婦人に付き添われ」て、不在となる中での優勝だった。二人は後に回復したが、スコットランド代表だったアンガス・ダグラス(Angus Douglas)は29歳でこの世を去り、他チームでもニューカッスル(Newcastle United)やノッティンガム・フォレスト(Nottingham Forest)でプレーし、戦争から帰還したジャック・アラン(Jack Stanley Allan)と、ゲインズバラ・トリニティ(Gainsborough Trinity)などで活躍したジョニー・パティンソン(Johnnie Pattinson)が犠牲になった。

 結局、英国では25万人がスペイン風邪に感染したとされている。しかし同年9月には、流行が完全には終息しない中で、全国リーグが再開した。