【4月19日 Xinhua News】中国科学院昆明動物研究所や雲南省文物考古研究所などの研究機関とタイの科学者はこのほど、棺(ひつぎ)を崖に懸ける「懸棺葬(かけかんそう)」の遺跡から見つかった遺体の分析を通じ、懸棺葬の起源と歴史を解明した。研究者は古DNAの解析技術を用い、雲南省(Yunnan)昭通市(Zhaotong)の威信県(Weixin)と塩津県(Yanjin)、広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)百色市(Baise)右江区(Youjiang)、タイのパーンマパー郡の懸棺葬遺跡13カ所で見つかった遺体41人分のサンプルに対しミトコンドリアDNAの全塩基配列解析を実施した。研究成果は、米「Cell Press」が発行する国際学術誌「iScience」に掲載された。

 懸棺葬とは、遺体を納めた棺を崖の表面や洞穴、岩の隙間に安置する古い葬送習慣で、福建省(Fujian)武夷(Wuyi)山地区で見つかった約3600年前の懸棺葬が最古とされる。中国の長江流域や長江以南に広く分布し、東南アジアや太平洋の島々でも見ることができる。懸棺葬の文化は考古学界の広い注目を集め続けてきた。

 論文の筆頭著者、中国科学院昆明動物研究所の張暁明(Zhang Xiaoming)副研究員は今回の研究について、昭通市などで見つかった2500年前から660年前の被葬者を対象に、中国の学者が初めて古DNAの解析技術を用いてDNAシークエンシングを実施したと述べた。

 張氏は、研究により被葬者の母性遺伝系統の遺伝多様性が昭通市地区で非常に高く、タイ北部で比較的低いことが判明したと説明。懸棺葬の風習は中国の南方を起源とし、南に広がり、東南アジアに到達したとの見方を示した。また、昭通市地区の被葬者が古代百越(古越族)先住民の子孫であることが判明したと明らかにした。

 研究者は、遺伝学による分析結果と考古学や形質人類学、歴史学からの考察を総合し、懸棺葬の風習が約3600年前に中国南東部の沿海地区で生活していた百越のグループで生まれたと推測した。同風習はその後の人々の大量移動や流動によって中国南部の広い範囲に伝わったとし、約2000年前に少数の人々の文化拡散によりタイ北部や東南アジアの先住民に持ち込まれたとの見方を示した。

 研究者は、同研究が母性遺伝系統の角度からの初歩的な検討にすぎないと説明。今後はより幅広い地域を代表できる被葬者のサンプルを利用し、学際的な研究成果と結びつけることで、懸棺葬の歴史・文化の様相の解明に向けた系統的な証拠を提供していくと語った。(c)Xinhua News/AFPBB News