「夜、食事に出かける時は、電気を全て点けておきます。帰ってきた時、照明で闇の中に浮かびあがる別荘の佇まいを見るのが好きなので。自分のものながら、大変誇らしくそして愛おしく思うものです」

この海辺の別荘のオーナーであるSさん夫婦はそう話す。極めて個性の強い形の建物だ。周りに灯りのない別荘地の中、照らし出された姿は独特である。長時間眺めていても、飽きないだろう。

クルマ生活を復活させた別荘

興味深いのは、何年もクルマの無い生活をしていたご主人のSさんが、この別荘を建ててから再びクルマのある生活に戻ったこと。東京で忙しい仕事を持つSさん夫婦は、都心で暮らす限り自ら運転するクルマを必要とするケースは稀だろう。それが別荘竣工から4年足らずで、何台もクルマを買ったのだ。この別荘がライフスタイルに与えた影響は極めて大きい。

Sさん夫婦が興味を持った、同じ別荘地にある廣部剛司さん設計の「海辺のシェルハウス」(写真・島村鋼一)。木造で貝殻と同じ構造を実現させている。海水浴場に接しているため、外界に対してやや閉じた形を採った。

そもそもSさん夫婦が別荘を建てたのは、いくつもの偶然による。きっかけは「たまたま見ていたテレビで、南房総での生活に関心を持った」から。それから二人の「直感に頼った」土地探しが始まった。週末にレンタカーを借り、不動産屋に頼らず、付近を何度も行ったり来たりしながら見つけたのがこの土地だ。静かな湾に面した、海と敷地の間に道路が存在しない、いわゆる一段目の土地である。しかも敷地の裏側は岩山。近隣の雰囲気もよい。極めて恵まれた環境だ。

さて、土地は決まった。建物はどうするか。そう考えた矢先に目にしたのが、同じ別荘エリアにある、小さいが抜群の存在感を放っていた建物だ。大げさに表現すると、ちょっと角ばったUFOのような、えんじ色の家。あの外観で内部はどうなっているのか。関心はあったものの、見学ができるわけでもなく、Sさん夫婦は東京に戻る。印象に残っていたこの別荘が、建築雑誌『Casa Brutus』の表紙を飾ったのは、それからほどなくのこと。「海辺のシェルハウス」と呼ばれる異形の別荘を設計したのは、廣部剛司建築研究所の廣部剛司(ひろべ・たけし)さんと分かる。雑誌記事で、気になっていた内部も確認できた。直感を信じる彼らが、すぐにコンタクトをしたのは言うまでもない。

一方、この家の立地は、別荘地外れの静かな土地。建物の背後には、岩山が迫っている。
母屋の2階は寝室とバスルームというプライベートなスペースだが、抜群の解放感がある。海側の棚の上部に設けられた洗面台は、蓋を開けないと鏡が出てこない構造。水栓金具も、一本の棒のような形のシンプルなものを採用し、視線を遮るものをできるだけ排除した。
天井は何本もの梁がむき出しになっており、柱の無い空間を実現させるため、複雑な構造になっているのが分かる。

抜群のロケーションを生かす

Sさん夫婦が別荘での生活で目指したのは、「東京ではやらないことを行う」こと。建築に関して、希望はいくつかあったが、「制約がありすぎるとつまらないものになってしまうので、ある程度自由に」と設計を依頼した。

仕事を請けた廣部さんは1974年型の赤いアルファ・ロメオ・スパイダー・ヴェローチェに21年も乗り続けている建築家だ。あちこちに長く使われてきた証が見て取れるクルマは、「速そうに見えるが、現代の水準では決してそうではないし、暑い日の運転は楽ではない。だがドライビングの楽しさは、普通のスピードでも特別なもの」と話す。

こうして誕生したSさん夫妻の別荘は、家の中に居ても解放感が心地よい。リビングの天井は高く、しかも全面が窓。前を遮るものが何もなく、海と空が広がっている。そして反対側の高い窓からは、裏の岩山と大きな空が。この眺めの良さは、2階の寝室やバスルームでも楽しめる。設計が抜群のロケーションを生かしているのだ。何といっても、海と山がトンネル状につながっている。例えていうなら、幌をあけたオープンカーの爽快さか。壁側に木製の柱を集中させる特殊な構造が採用されている。実現には、腕のいい信頼できる棟梁の存在が不可欠だった。他にも、視界を遮る一般的な冷蔵庫でなく、カウンター下に入る業務用を選ぶなど、細かいことの積み重ねでこの解放感が生まれたのである。

棚には、かつてこの別荘で乗っていた、ミニ・コンバーチブルのミニカーが飾られていた。
ぼんやりと窓からの景色を見ているだけで、癒される家だ。

数少ないSさんからの要望のひとつが、リビングからクルマが見えるようにすること。中庭の水盤を挟んだガラスの向こうに、クルマが見えるようにガレージを配した。面白いのは、土台から3本の木の柱が伸びて梁を支える、母屋と同じ構造で建てられていること。柱の間に仕込まれた照明が作り出す影が素敵だ。実はこのガレージ、予備室の位置付けで、必要があれば部屋に改装できるようになっている。

そしてSさんがこの別荘に通うために選んだのが、ポルシェ・ケイマン(2012年型)だ。「いつかはポルシェ」という想いを実現させたという。30年前にフェアレディZを手放して以来のクルマである。その後Sさんは、別荘用に赤いミニ・コンバーチブルを購入した。ポルシェ・ケイマンで都心のマンションからやってきて、車庫で眠っているコンバーチブルをオープンにし、休日の南房総の空気を楽しむためだ。何とも魅力的な2台持ちの生活ではないか。もっともこのミニはお子さんに譲ってしまい、今は東京の車庫を暖めている、1956年型のM GBを別荘に持っていく機会を窺っているとか。何年もクルマを所有していなかった方が、短期間でこれほど趣味的なクルマを買うようになるとは。ひとえにクルマの持つ魅力の奥深さだろう。

何でもない一日が特別な日に

オープンエアーでドライブを楽しむ以外に、Sさんたちの別荘での生活は、極めて普通のものだという。買い物をしたり地元のレストランで食事を楽しんだり。海で泳ぐお子さんや、沈んでゆく太陽を眺めることも。荒れた海と空を飽きずに見ていた時もあったとか。もしこれが都心の自宅だったなら、同じことは出来ないだろう。この別荘で過ごすことで、なんでもない一日が忘れられない特別な日に変わるのだ。それはゆっくり走っても刺激的な、アルファ・ロメオ・スパイダーと通ずるところがあるように思う。

築4年目を迎えたSさん夫婦の別荘は、木の柱や壁が飴色に変化しつつある。「新築の時のピカピカのままでなく、年と共に変化していく建築を目指す」廣部さんが、できるだけ本物の素材を用いた結果だ。この別荘も彼のスパイダーと同じように、何年も歳月を重ねると、個性に味わいが加わった、さらに魅力的な家になることだろう。

■建築家:廣部剛司 1968年神奈川県生まれ。日本大学卒業後、芦原建築設計研究所に勤務し、その後独立。国際的には海辺の別荘で知られるが、中庭のある都市型住宅も得意とする。アルファロメオ・スパイダー・ベローチェとシトロエンC3に乗るイタフラ車好きとしても有名。著書に『サイドウェイ建築への旅』がある。この夏『世界の美しい住宅』が出版予定。

文=ジョー スズキ 写真=山下亮一