【4月9日 People’s Daily】3月12日、中国・武漢市(Wuhan)の新型コロナウイルス感染症治療の拠点・火神山病院の入り口で、車の渋滞が起きた。道路の緊急工事の影響で患者を運んだ車両が立ち往生し、後ろで渋滞した車から人が降りて見物を始めた。その時、警察の現場責任者・孟祥徳(Meng Xiangde)さんは「人が集まると、感染の恐れがある」と危険を感じた。すぐに「皆さん下がって! あわてなくとも、すぐ道路は開通します」と呼びかけ、彼の指揮の下、患者を安全な場所へ運び、病院入り口の障害物をどけて車が通過するルートを確保した。

 14年の軍隊生活と17年の警察生活。それが孟さんを硬骨漢に仕立て上げた。火神山病院が突貫工事で建設される前、武漢市公安局特別警察六大隊の隊長だった孟さんは自ら志願し、「火神山突撃隊」をすぐさま編成した。隊員たちには「われわれの辞書に『不』(できない)の文字はない。誰も行かなくともわれわれが行く。誰もできなくともわれわれがやる」と呼びかけた。

 2月2日午後8時に最初の感染症患者が病院に到着して以降、孟さんは2昼夜にわたり、隊員への指示や交通指導、パトロールに尽力した。孟さんは17時間連続で指揮所に立ち続け、1台1台の救護車両が入っていくのを見守った。

 2月8日、医療物資を積んだ車両を受け入れる際、交通規制をしていかにスムーズに病院に到着するかが課題だった。現地ではバリケードは不足していた。「俺についてこい」。孟さんの声とともに40人の警察官が一斉に行動。寒風吹きすさぶ中、50メートル間隔で立ち、長さ2キロにわたる専用道路を作りあげた。物資は時間の無駄なく病院に届けられた。

 大量に搬送されてくる患者について、家族が知っている情報を生かそうと、孟さんは「真心リレーボックス」を設置した。患者の病状やCTのデータなどをボックスで受け付けてとりまとめ、医療スタッフにまとめて渡している。医療スタッフからは「戦場の旗印のような存在」とたたえられる孟さんだが、本人は「私は武漢の戦場で戦う幾万の戦士の一人にすぎない。患者を守り、白衣の天使を守ることが私の責任であり、名誉なことです」と謙虚に語る。

 孟さんが自ら第一線の仕事に志願したことを、妻子も理解している。子どもは作文でこう書いた。「私のパパは警察官です。めったに会えないけど、パパがいつも私の近くにいて、私たちの安全をずーっと守っていることを知っています」(c)People's Daily/AFPBB News