【4月7日 東方新報】中国のインターネットで3月26日、「三月三」という言葉がホットなキーワードとなった。この日は旧暦の3月3日で、かつては「上巳節(Double Third Festival、じょうしせつ)」という伝統行事が行われていた。若い男女がデートをする「恋人の日」でもあり、「失われた情人節(恋人の日)」として注目が集まっている。

 上巳節の起源は前漢の時代にさかのぼる。冬を終えて春の花が咲き始める時期、官民こぞって水辺に出て沐浴(もくよく)をしてみそぎを行い、体から邪気を払っていた。古代における保健衛生の習慣ともいえる。婚姻と生育の神の高禖(こうばい)を祭り、女性の成人の儀式を執り行う日でもあった。

 時代を経て、上流階級や文化人は上巳節で、水辺で酒を飲みながら詩を作る「曲水宴」を楽しむようになる。東晋の書家・王羲之(Wang Xizhi)が「蘭亭序」を書いた「蘭亭の会」は有名だ。一方、庶民の間では野外で宴会する、「踏青」という一種のピクニックを行うなど、春の遊びとして広まった。唐代の詩人・杜甫は「三月三日天気新、長安水辺多麗人」と書き記している。こうした多くの若い女性が野外に出る上巳節は、大きな「出会い」のチャンスだった。

 封建的な時代、若い女性はそう自由には外出できず、男性と触れ合う機会は少なかった。上巳節では若い男女が事前にデートの約束をしたり、当日の宴の中で声をかけたりする貴重な機会だった。日本でもかつて、農村の祭りの日は男女が関係を深める日でもあり、いずれの国でも、気分が高揚する祝祭の日は、恋愛と結び付きが高いようだ。

 現在の中国でも、チワン族など一部の少数民族は旧暦の3月3日に盛大な祭りを開く。民族衣装をまとい、歌や踊りを楽しみ、爆竹を鳴らし、もち米を食べてお祝いをしている。漢族の間でも、上巳節に若い女性が伝統衣装「漢服」を着て水辺で足を洗い、みそぎの儀式をするなど、復活の動きも出ている。中国の経済成長に伴い若者の消費力も向上しており、今後はさらに「恋人の日」として特化して上巳節への注目が高まりそうだ。(c)東方新報/AFPBB News