1940年幻の東京「復興」五輪、なぜ中止となったのか
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■「中国との問題」で断念
例えば、天皇は神格化されていて国民はその声や姿を見ることはできないのに、開会宣言ができるのかといった若干の問題も生じたが、準備は順調に進み、開会式は1940年9月21日に決定した。しかし徐々に、資金を軍事目的に回せという声も聞かれるようになった。
一方、海外の圧力は高まった。当時の日本の外交官らは東京への電信で、英米などの大国は日本の好戦的な活動を理由に、東京五輪をボイコットする可能性があると懸念を示している。
だが、「五輪は実現する」という2020年と同じような言葉を当時の政府も繰り返した。
日本オリンピック委員会は1938年7月、ついに開催を返上し、「中国との問題」によって五輪開催が不可能になったとえん曲に理由を説明した。さらに同年札幌で開催予定だった冬季五輪もヘルシンキに変更となったが、結局戦争により中止となった。
次に五輪の聖火がともされたのは1948年、英ロンドンだった。敗戦国の日本は出場できず、復活したのは1952年ヘルシンキ開催の夏季五輪からとなった。
東京でアジア初の五輪が開催されたのは1964年のことだった。(c)AFP