【3月10日 AFP】サーフボードを抱え、波のコンディションを確認する。福島県南相馬市に住むサーファー、鈴木康二(Koji Suzuki)さんの朝の日課だ。

 南相馬市の海岸は日本有数のサーフスポットだ。海を中心とした街づくりが盛んで、多くのサーファーに親しまれた。9年前、福島第一原子力発電所で事故が起きるまでは ──。

 2011年3月11日、マグニチュード(M)9.0の巨大地震により発生した津波が福島第一原発を襲った。鈴木さんがサーフショップを営んでいた右田浜から南、約30キロしかなかった。

 津波は、鈴木さんの住宅やサーフショップを含む70軒あまりの地区全てをもさらっていった。何も持たずに逃げ、残ったのは避難する際に使った車に偶然積まれていたショートボード2本だけだった。

「津波で家を流されて職もなくなって、サーフショップも一緒に流されて。震災の影響でおふくろも亡くなって、そのあとを追うようにおやじも亡くなった。俺、何もなくなった」

 唯一サーフィンだけが残った、そう鈴木さんは話す。

 その夏、がれきだらけの砂浜に戻った。ひどい光景だった。それでも、海は以前と変わらずそこにあった。

「自分が入らなかったら、もうこの海は終わってしまう」

 放射能汚染が危険なレベルでないことを確認し、海に入った。浜辺ではいまだ行方不明者の捜索が行われていた。

 この日、鈴木さんは一生をささげてきたサーフィンを再開した。朝の日課も続いている。

「1年のうち、364日(海に)来る。正月一日だけ休む。あとは毎日来ている」

 そう話しながら、ショートボードを片手に波から上がった。