■「平和とは呼べない」

 タリバンは米国と和平協議を進める上で、女性の権利を「イスラムの価値観」に従って尊重するという曖昧な約束をした。人権活動家らは、タリバンの約束は単なるリップサービスでどうにでも解釈できると警告している。

 現在もタリバンは、アフガニスタンの広範な地域を支配している。地域によっては小学校への女子の通学を認めてはいるが、女性に対するむち打ちや石打ちによる公開処刑が今も根強く残っていると報じられている。

 アフガニスタンの一般的な家族の多くが、平和を希求する思いとタリバンへの恐怖の間で板挟みになっている。「この国では、どの家族も戦闘で子どもや息子、夫や兄弟を失い、悲しみに暮れている」と、政府職員のトロペカイ・シンワリ(Torpekay Shinwari)さん(46)は東部ナンガルハル(Nangarhar)州で語った。タリバンが勢いづけば、「女性は第二の性として見下され、抑圧されるのではないか」とシンワリさんは警戒する。

 タリバン発祥の地カンダハル(Kandahar)の若い世代からは、違った見方も聞こえる。女子学生のパルワナ・フサイニ(Parwana Hussaini)さん(17)は「タリバンは私たちの兄弟だから、心配はない」とAFPに述べ、さらに「若い世代は変化している。タリバンが私たちに古い信念を押し付けることは許さない」と語った。

 しかし、タリバンによる過酷な支配の矢面に立った人々にとっては、タリバンの復権は「暗く痛ましい記憶」の繰り返しでしかない。

 イスラム教シーア派(Shiite)の少数民族ハザラ人(Hazara)で、中部バーミヤン(Bamiyan)に住む工場労働者ウズラさん(40)は、スンニ派(Sunni)強硬派のタリバンが村を襲ったときのことをむせび泣きながら語った。

 その時、家にはウズラさんと子どもたちしかいなかった。「あの日のことは今でも鮮明に覚えている。彼らは男性を全員殺した後、私の家にやって来た」。タリバンは、ウズラさんと3歳の娘の首をはねると脅したという。

 一家はなんとかパキスタンへ逃れたが、夫は激しい殴打によって不自由な体となり、心にも傷を負った。「今でも夫は『タリバン』という言葉を聞くと泣き出す」「みんなが平和を願っている。でも、タリバンが戻ってくるのならば、それを平和とは呼びたくない」 (c)AFP